ラベル 文化人類学/拒食・過食の調査 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2017年9月25日月曜日

かわいい、うんち、物語



2016年3月より7回にわたり続けてきた『からだのシューレ』は、2017年3月の第10回目を持っていったん終了とし、充電期間に入ることに致しました。

文化人類学者として、食べ物や身体がどんどん数値化されていく社会、あなたの身体は十分ではないというメッセージを発し続ける社会のあり方に危機感を感じ、林さんに協力をお願いして始めたワークショップでした。

第1回目は「誰か来てくれるのだろうか」と正直不安でしたが、蓋を開けてみれば、7回を通じてすでに150名のさまざまな背景の方が足を運んでくださるイベントとなりました。ここまで続けた来られたのも、来てくださった皆様お一人おひとりのおかげです。心よりお礼申し上げます。

残り3回ですが、次のような計画を立てております。お忙しいと思いますが、お時間のある方はぜひいらしてください。皆様との再会を林さんとともに心よりお待ち申し上げます。

今後の予定は以下のようになります。


<「からだのシューレ」今後の予定>

◉9月30日(土)Vol.8 「かわいいの作り方」 (13:30ー16:30 [180分]@ウィメンズプラザ  /1500円 【参加者:どなたでも】)

3時間座談会付きの付きの拡大バージョンです。テーマは「かわいい」について。 

ちょっと変わった切り口から、ふだん何気なく口にする「かわいい」の輪郭を探ります。日本の若い女性にやせすぎが多いこととも関連させながら、「かわいい」とは何かについて考えてゆきましょう。

また今回は3時間座談会付きの拡大バージョン!その中では、大学の講義で使うと必ず盛り上がる手法であり、また研究やビジネスでも使われている、KJ法という手法も導入します。(座談会は飲み物付きです。)

いつもより入場料が五百円お高くなっていますが、その分楽しんでいただけるよう工夫を凝らしています。来週お時間のある方ぜひお越しください!

★お申込みはこちらから↓


1月27日(土)Vol.9  「ちょっと不思議なうんちの話」(仮題)(90分@表参道・渋谷近辺 /1000円【参加者:どなたでも】)
※時間と場所は決まり次第お伝えします。

大人気だった筑波大学准教授の湯澤規子さんと、ケニアでトイレを作る活動をしていらっしゃる、LIXIL(株式会社リクシル総合研究所)の山上遊さんをお迎えしてのレクチャーです。

現在絶賛企画中ですが、こちらも盛り上がること間違いなしのテーマです。

3月下旬  Vol.10最終回 『あなたの食と物語ー糖質制限ブームを通じて考える』(仮題)(90分@表参道・渋谷近辺 /1000円 【参加者:ダイエットや食生活に関心のある女性】)
※時間と場所は決まり次第お伝えします。

最終回は磯野が担当します。テーマは、食べ物と物語。食べ物というとカロリーや栄養素で捉えてしまいがちですが、食べ物には物語としてとらえるというもう1つの捉え方があります。この数年大ブームの糖質制限の構造を批判的に解き明かしながら、物語としての食のあり方について考えてみます。

体重やカロリーが気になって仕方がない人、ダイエットに少し疲れ
たなと思う人、そんなみなさんの気持ちが少し楽になるワークショップになればと考えています。

2017年7月11日火曜日

からだのシューレ Vol.7 『あなたの胃袋誰のもの?』



今回は筑波大学准教授湯澤規子さんをご招待してのワークショップ。湯澤さんは歴史と地理学をベースにフィールドワークを続けていらっしゃる実直な研究者です。



いつもより10名ほど多い参加者の方を迎えての今回は、どんなお話になるのでしょう。主催者もわくわくです。


食は生きている限り欠かせないものであるにもかかわらず、研究者の関心はもっぱら政治や経済に集まり、食にはあまり注目がなされてこなかったとお話しされる湯澤さん。

すぐそばにある「小さな歴史」を考える。
うーん。素敵なフレーズです。



まずは湯澤さんの現在の研究の1つである一膳飯屋のフィールドワークの紹介から。新宿の東南口の駅前には大正時代からの食堂が残っているのだそうです。当時は戦争中だったため外食をするのにも政府が発行した券が必要だったとか。



そしてお話は本題へ。

すると湯澤さん、オレンジの布を手に取りなんかごそごそしはじめました。


まさか着替え?


こんなの主催者も聞いてません!!





なんと登場したのは「胃もたれ」T-シャツ!
この日のために新調されたとのことです(笑)

清楚な雰囲気を漂わせる先生が突然着替えたので会場爆笑。ヒートアップ!





熱気が冷めやらぬままディスカッションに突入しました。

お題は「胃袋って何だろう」、「胃袋に耳があったら何を聞いている?」。
胃袋T-シャツの湯澤さんのファシリテーションで楽しく時間が進みます。いろんな答えが出ていますね。

ところがここですでに時間は19時47分。導入の一膳飯屋で楽しくなってしまった湯澤さん。思いの外時間を使いすぎてしまったようです。ワークショップの副題は「食と社会の200年」。残り40分で200年を話しきれるのか?!


こちらは20世紀初頭の屋台。なんと「大福・食パン」ののれんがみえます。どんな屋台なんでしょう。入ってみたい…。

 

忙しくて休む暇がないと嘆く、お正月の「胃吉さん」と「腸臓さん」。飽食の時代が訪れていたのですね。


ですが一方で、明治初期は貧困層が現れた時代でもありました。新宿には日々の食に困る人のための食堂があったとか。帝国ホテルなどから廃棄分として出る骨に着いた肉や、パンの切れ端などを工夫して安価な食事が提供されていたとのことです。





お話は戦時期に突入。手に持っているのは丸秘と書かれた当時の政府の資料。なんと手書きのガリ版刷りです。

極秘入手!したわけではなく、古本屋で売られていたそうです(笑)
時間は極秘資料を町の書店に引きずり出すんですね…。





こちらは当時の啓発ポスター。オレンジで「戦時食料の確保」と書かれています。



そして戦争が終わり現代へ。時間はあと5分もありません!!(撤収時間が決まっていたので延長が難しかったのです…)

がくんと右下がりしている黒線のグラフはお米の消費量。時代は胃袋をどうやって満たすか、の時代から、どうやって満たさないか、の時代へと突入します。

「胃袋をどうやって満たすか」という関心から、「舌」と「目」で楽しむ飽食の時代、そして栄養学の導入と共に「頭」で食べる時代へ。そしてSNSの広がりとともに私たちは「他人の目」で食べる時代へと移り変わっていきました。

いまの私たちの食べ方は、長い時代の中で見るととても特殊なもので、もしかするとほんの一瞬現れただけにすぎない可能性もあることがわかります。

なぜか得意げな湯澤さん



大好評だった湯澤さんのワークショップ。参加したみなさんだけでなく、湯澤さんも楽しんでくださりました。また講師としてお呼びしようと考えています!ぜひご来場くださいね。

 

トリは今回も飛びました。


2017年4月10日月曜日

からだのシューレ Vol.6 「なぜお母さんが原因に?~摂食障害の歴史学」開催報告

2016年3月から始まった「からだのシューレ」は今回でなんと6回目!
毎回来てくれる方もおり、すでに長寿番組を狙っています。

めざせ徹子の部屋。

看板作りに気合が入っています!
完成。満足な出来です。

さて、2017年初の「からだのシューレ」では、はじめて摂食障害のことを扱いました。
テーマは、日本の摂食障害の理解では、なぜ母親が原因とされるのか。



摂食障害の原因に母親の子育てをみる理論は20世紀の後半に欧米でもありましたが、この理論は徐々に廃れていきます。

しかし一方日本では、未だこの理論が残り続けており、摂食障害の話をすると、「それって母親がいけないんだよね」といった言葉が一般の人からもでることも。

よく考えてみてください。
あることの原因において、母親の子育て「だけ」が関わっている事象などあるでしょうか?

私たちが成長する過程で関わる人は母親だけではありません。父親、祖父母、きょうだい、友達、教員など多様な人たちとの関わり合いの中で私たちは成長します。

その中でなぜ母親だけがことさらにピックアップされるのか、これはよく考えると不思議な現象です。実際、私が調査を行ったシンガポールでは、母親に原因を求める発想が見られませんでした。

この違いはなぜなのでしょうか。今回はこの問題を、私の専門である文化人類学の手法を使って考えました。



まずは拒食・過食の原因の変遷を中世ヨーロッパまで遡っておさらいしました。真実を語る権威が宗教から科学に移るにしたがって、摂食障害の原因論も変わっていきます。というより、そもそも中世の時代は、「病気」とは考えられていませんでした。食べていなくても生きていられる、神様の奇跡とみなされていたのです。

ふつうですと、「それは昔の遅れた考え」という見方になりがちなのですが、そうは考えないのが文化人類学です。

司会の方、やけに肩が上がってますが苦しいのでしょうか?


話しは20世紀の後半に進み、とうとう日本の摂食障害の原因を考えるには欠かせない「母原病」のお話し。「母原病」は内科医の久徳重森さんが1970年代に発表した理論で、子どもの家庭内暴力、アトピー性皮膚炎、登校拒否、ぜんそく、とありとあらゆる病気の原因は、母親の不適切な子育てにあるという理論です。いま聞けば、びっくりぽんの理論なのですが、ここで考えたいのは、これが間違っているか、正しいかではなく、なぜ当時の日本でこの理論が広く受け入れられ、「母原病」はなぜベストセラーとまでになったのか、です。

やけににこにこしていますが母源病のファンではありません。


それを踏まえた上で、母親に原因を求める見方が全く見られない、シンガポールに話は移ります。日本とシンガポールでみられる大きな差。いったいここには何があるのでしょうか?

病気を個人の中ではなく、個人の外に広がる、社会や文化、政治や経済と結び付けてみる見方が重要になります。
淡路島と同じ大きさのシンガポール。拡大しすぎました。
参加者の方からはこのような感想を頂きました。

“心理学などでは、必ず家族関係を持ち出される。特に母親の責任は重い。どうしてなのかと学者にきいたら「そういうものだ」と言われたことがある。ずっと腑に落ちなかったが今日明確になった。”
*ちなみにこのような回答は、心理学の一般的な見解ではないと言えるでしょう。
文化人類学は問題の形を見てみようとする学問です。 問題を解決する手法を提供する学問ではないので、物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、私はそこが文化人類学のよさではないかと思っています。生きるということに答えがない以上、自分が問題とどう向き合うかは、究極的には本人にしか見いだせないはずだからです。

今回は、最後に物語論の話しもしました。少しさわっただけだったのですが、アンケートを見るともう少し突っ込んでほしかったという意見が多いので、別の回でとりあげるかもしれません。

ご来場ありがとうございました♪

2017年1月21日土曜日

【からだのシューレVol.6:3月29日19:00~】「なぜ母親が原因に?―摂食障害の歴史学」




摂食障害の原因は、母親の不適切な子育てにある。

日本ではいまだに広く信じられているこのお話し、世界的みるとそれほど一般的な見方ではありません。 

母親に原因を求めるモデルは、アメリカのドイツ系精神科医 ヒルデ・ブルックによって1960年代に作られました。しかしこのモデルは欧米では徐々に廃れていきます。また私が調査を行ったシンガポールでもあっさりと否定されていました。

しかし日本では、このモデルはいまだ残り続けています。 いったいなぜなのでしょう? 

今年初・第6回目となるからだのシューレは、摂食障害の原因をめぐる歴史にスポットをあててみます。 

(「からだのシューレ」は摂食障害のことを扱うワークショップと誤解されがちなのですが、からだのシューレで摂食障害を扱うのはこれがはじめてなのです!) 

なぜ摂食障害の原因が母親に求められるようになったのか。
なぜ原因を母親に求める見方が、根強く残っているのか。 

医学や心理学の視点ではなく、歴史、社会・文化、政治・経済にスポットを当て、めぐるめく摂食障害の原因論について考えてみます。

今回は、身体や食の問題に関心のある女性限定で開催します。お気軽にご参加ください! 
お申し込みはこちらからお願いします。


2016年12月19日月曜日

あなたのカラダは誰のもの?―プラスサイズモデルNaoさん講演会


すでに5回目を迎えた「からだのシューレ」。今年最後の企画は、プラスサイズモデルNaoさんの講演会!Naoさんについては、私がたまたまネットで記事を見かけたことがきっかけです。「講演会なんてしたことないです(汗)」といいつつ、「私の経験が誰かの役に立てれば」ということで、この企画が実現しました。


ラファーファのNaoさん。かっこいい!!


ふだんから雑誌やテレビなどメディアに出ていらっしゃるので、人前で話すなんて余裕だろうと思っていたら、講演の1時間前のNaoさんのツイッターのフィードに「緊張してきた…」の文字が。思いの外緊張していらしたようで、実際にお会いしたら本当に緊張していました(笑)



講演会には40人弱のみなさんがいらしてくださり、講演会がスタート。

Naoさんは、17歳から25,6歳まで拒食・過食を繰り返し、体重の変動は20キロ近くだったこともあったといいます。講演会の前半戦は、Naoさんがこの状態をどう抜け出していったかに焦点が置かれました。

面白かったのが、Naoさんがその道のりをドラゴンボールに例えていたこと。7つ集めたら願いがかなうというドラゴンボール。Naoさんにとってのドラゴンボールは「やせる」ということで、そしたら何かもっといい人生が待っているんじゃないか。そんな風に考えていたのではないかとNaoさんはご自身を振り返ります。

でもそんなドラゴンボールは実は存在していなかった。

「このままの体型でいいんじゃないか」、そう思えるきっかけを少しずつ集めたことがいまの自分につながっているとNaoさんは話されます。

Naoさんが悩んでいるときに、離島のおばあちゃんを訪ね、おばあちゃんから「あんたは何にも悪くない」と言われて涙を流すところは、こちらも思わず泣きそうでした。

またモデルになってから気づかれたことについてもお話しくださりました。太っている人、ぽっちゃりしている人に対して私たちが抱きがちなイメージが、いかにメディアによって作られていること、太っている人はなぜ笑いの対象になるのかなど、私たちが普段何気なく通り過ぎてしまうことに疑問を投げかけてくださり、まさに「モデル界の文化人類学者」(←命名、いその)としてのお話しが次々と続きました。




そして講演会後半は、Naoさんへの質問コーナーに突入。

「自分に素直になるってどういうことですか?」、「Naoさんにとって幸せって何?」といったかなり哲学的な質問から、「健診などで、このまま行くと不健康になりますよ。やせなさい!と言われたらどうしますか?」といったかなり具体的なものまで多くの質問が寄せられました。

それぞれの質問に対する、Naoさんの受け答えを聞いていて印象的だったのが、人から言われたことと、自分との間にワンクッション置くことを大事にしているということ、物事を1つの側面に光が当てられたら、違うところからも見られるんじゃないかと考えることを大事にされているということでした。

Naoさんの言葉の中に、「変わったのではなくて、気付いた」という言葉があり、これは自分自身を変えようとしたのではなく、いままでとは違う形で世界が見られることに気付いたことで、結果として変わったという意味だったのですが、まさにこれが「からだのシューレ」の目的です。

このことを私たちは「社会と身体の間にスキマを作る」という言い方で表現しいたのですが、「変わるんじゃなくて、気付く」というよりインパクトがあり、かつエッセンスを突いている、Naoさんの言葉も使わせていただきたいところです。(Naoさんいいでしょうか?)

講演会は盛会の後に終わり、多くの感想を頂きました。一部紹介しますね。
Naoさんの周りに流されない芯の強さにふれられてとてもうれしかったです。 
社会と自分の間にスキマは作れるんだ、と気づけた時間でした。気持ちが楽になりました。今後、就活・就職などで失敗した時、極端に落ち込むことがなくなりそうです。本当にありがとうございました。 
 今私は過食症を患っており、ふつうに食べることができれば良くて、過食しては気分は落ち込み生き辛いなと感じることが多々あります。そんな中でも、今回の「からだのシューレ」で新しい考え方、社会に対する見方を学びました。当たり前を疑う大切さを感じました。 
Naoさんが体験されたことや、そこから見出された考えや気付き、それを力強い言葉で語られていることがとても素晴らしく、とても素敵な方だと思いました。もっともっといろんな場面で発信していかれることを期待します!

今年最後の「からだのシューレ」は、Naoさんの素晴らしいお話のおかげで大成功の裡に終えることができました。Naoさん、ご来場くださったみなさま本当にありがとうございます。

そして、そして、「からだのシューレ」は来年も開催されます!文化人類学を中心に企画を考えてゆきますので、ぜひお気軽に足を運んでくださいね。

みなさま、よいお年を!


来年も鳥が飛びますよ



2016年10月25日火曜日

私たちはいつ、人の目線で自分を見るようになるんだろう


ただ、そこにいる、という、それだけのことの難しさをきりこはよく分かっていた。人間たちが知っているのは、おのおのの心にある鏡だ。その鏡は、しばしば「他人の目」や「批判」や「自己満足」、という言葉に置き換えられた(129)

今回の「からだのシューレ」はいつもよりサイズを半分に縮小し、1部と2部に分けての読書会。とりあげたのは西加奈子さんの「きりこについて」です。




参加者は10代から50代までの女性と男性。

生きた年月もやっていることも大きく違うみなさんでしたが、皆さんどこかのタイミングで、他者から自分がどう見えているのかを気にするようになり、時にそれにとらわれてしまう経験をお持ちであることが印象的でした。

うちも自分のこと、ものすごくかわいいって思っていたやんか!(192-193)

学校でぶすだとののしられ、いじめに遭いとうとう登校拒否になるきり子が、こう気づくシーンがあります。

ここについて大学生の参加者からこんな発言がありました。

「小さいころの自分を思い出すと、私もそうだったんじゃないかと思います。親が無条件に愛してくれる。かわいいってどういうものかもわからないし、世間のかわいいもわからない。いまは雑誌に載っているモデルとかに影響されているけど、そういうのをいつから気にしだしんだろうか。どうして無条件に満足できていた自分では足りなくて、他からも求めてしまうのはいつごろだったのだろう?」

幼いころは、他人がどう見ているかなんて全然わからず、自分がどうしたいかしかわからないですよね。ところが私たちは次第に周りが自分をどう見ているのか、世間の尺度にあっているのか、年相応のことができているのか、デブじゃないか、ブスじゃないか、お金があるか、そんなことを気にしだしてがんじがらめになり、気付いたら自分が何をしたいのかわからなくなる―

こういうことを経験した方は多いのではないでしょうか?

私が4年にわたりインタビューをさせてもらった拒食・過食を経験した方たちも、他人の目というのにがっちがちに縛られていた局面があったような気がします。

でもこれはうまく食べられなくなった人たちに限らず、私たちみなが陥ることですし、世間にはふつうとか、常識とか、そういう言葉で他人の目に縛り付けようとするメッセージにあふれていることも事実です。

今回取り上げた「きりこについて」は、自分らしくすることの大事さを一方で強調しながらも、あるべき形からはみ出る人々を排除する社会との中で、どう生きたらいいのかを考えさせてくれる小説でした。

そして次回の「からだのシューレ」は、プラスサイズモデルNaoさんの講演会。今回に引き続き「自分らしさ」ってなんだろう、「外見ってなんだろう」ということを考えさせてくれる内容になること間違いなしです。

「やせなきゃ」と思うあなたの気持ちはどこからやってくるのでしょう?

参加制限はございませんのでどなたもお気軽にご参加下さい!







2016年8月10日水曜日

ダイエットとけがれ―「からだのシューレVol.3」開催報告!

「からだのシューレ」も早いもので第3回目を迎えました。今回は夏休み特別30分拡大バージョン!高校生から大学院生、もちろん会社勤めの方、親子での参加までたくさんの方が参加してくださりました。

入り口では大きなトリがお出迎え

さてさて第3回目のテーマは文化人類学の本丸中の本丸。「けがれ」のお話し。ダイエットをして「身体が汚い」「けがれた」という感じになるのはなぜなのかについて考えていきます。

「目からうろこ」という人も珍しくないけがれの話し
まずみなさんに、「汚い」と直感的に感じるものを出してもらいました。


ハトやゴキブリから、落ちた爪や髪など身体にかかわるもの、さらには下品な行動、嫌いな人といった人間のふるまいにかかわることまで幅広い意見が見られます。

文化人類学の面白いところは、なぜ私たちがこれらを汚いと感じるのかを、1つの理由で説明してしまうところです。汚いというと、ばい菌といった衛生的な理由が私たちの頭をまずよぎりますが、「下品な行動」「嫌いな人」はこの理由では説明がつかないですよね…。

なぜこれらを汚いと感じるのか、段階的にみなさんにディスカッションをしてもらいました。

かなりの盛り上がりを見せました

 そしてみなさんの分析の結果がホワイトボードの青字の部分。「何かの成れの果て」、「余計なものがついた時」、「生物に関係する」、「自分から離れたもの」などさまざまな意見が出ています。文化人類学のけがれ論にかなり近いものも出ていますが、皆さんどれだかわかりますか?

想像的な意見がたくさん

みなさんの話し合いをもとに、文化人類学では「けがれ」をこう考えますという種明かし(←クライマックス!)をした後、ダイエットをしているとき、身体が「汚れた」と感じるのはなぜなのか、いまいちど考えてもらいました。

その結果は、講座の核心に関わりますので省きますが(笑)、みなさんの経験を聞いていてわかったのが、「炭水化物ってそんなに悪者だったの?!」ということ。

クッキー、ごはん、パン、パスタ、そのようなものを食べると「身体が汚くなった」と感じることがあるという方が結構いらっしゃり、現代の「炭水化物嫌悪ブーム」の一端を見た気がいたしました。「炭水化物=太る」、「太る=悪」、このような自動思考っていったいどうしてあるんでしょうね。

la farfaのモデルNaoさんの言葉

最後にいろんな体型の人が世の中にいていいんだと思い、10年続いた拒食と過食の暗闇を抜け出したぽっちゃりモデルのNaoさんの言葉を紹介。実はこのワークショップにも来てくださっていました。

やせすぎの若年女性が国際的に見ても突出して多い日本。Naoさんのような、既存のあたり前を揺るがしてくれる存在、ほんとうに貴重だと思います。

「自分らしさ」とは?

さて次回の「からだのシューレVol.4」は初めての試み、読書会になります!

扱う本は、西加奈子さんの「きりこについて」。

黒猫のラムセス2世とぶすのきりこのお話から、 「自分らしさ」について考えます。開催日は10月22日(土)の午後。場所はいつもと同じ青山ウィメンズプラザです。参加ご希望の方は、「きりこについて」をお読みの上いらしてください。とても読みやすい小説です。

(申し込みページがまだできていないので、でき次第告知しますね!)



2016年4月5日火曜日

「からだのシューレ」 第1回終了!-あなたはなぜやせたいのですか?

はじめての試み、「からだのシューレ・一億総やせたい社会を見つめるワークショップ」が先日(3/30)に終了しました。

「5名く来てくだされば御の字!」と思っていたのですが、予想に反して10代から60代まで15名の方が集まってくださり、ディスカッションも大いに盛り上がりました。

初回のテーマは「やせたい気持ちとマーケットの関係を考える」。まずはじまりは「やせたい気持ちがいつ、そしてなぜ始まったか」についてのディスカッションから。

そこで出た意見が「やせる」ことの本質をついているものだったので紹介します。

皆さんの意見はホワイトボードに貼り出し

 「あなたはなぜやせたい/やせたかったのですか? 」

  • やせると美しい見た目に…あと着たい服が着られる。モテそう
  • 男子にブタって言われて嫌だったから
  • やせた自分でなければいけないと思っていたから
  • 周りからの悪い評価が怖いから
  • 他人から「キレイ」と言われたかった
  • やせればやせるほど速く走れると思っていたから→その後、それだけでなく ユニフォームがお腹の出る露出度の高いものであり、それも影響したというお話あり。
  • お腹のぽっこりが気になるから=服の着こなしに影響?(人からの指摘)
  • やせるように言われたから
  • 思春期太りをしていじめられてしまったことが忘れられないので…。太っていると良くない気がする
  • やせると「やせたね!」(ちやほや)太ると「太ったね!」(呆れ・見下し) やせてる方が洋服を着こなせた(と思っている)
  • 美しくなりたかった
  • 自分の肉がきもち悪い。醜く不快に感じる

はじめて「やせたい」と思った時期は、小学校中学年~高校生の間。もっとも多かったのは小学校高学年から中学生でした。そして意見をみるとわかるように、「やせる」ことが明確に他人からの評価と結びついていることがわかります。

やせることは「自信」とか、「健康」とか、「なりたい自分」とか、自分自身と結び付けて語られることが表向きは多いです。ですが その裏側では「他人からよくみられたい」、「他人よりも素敵な身体になりたい」という比較や競争の視点が入っていて、そのような価値観を小学校~中学校という多感な時期に、しらずしらずのうちに身につけているということがわかります。

参加者の方の中には小学1年の娘さんがいらっしゃる方もおり、その方のお話しによると、1年生の頃からやせることがうらやましい、 やせたい!と思っている女の子が結構いるとか。生まれて10年にも満たないころから自分の身体がよくないと思う気持ちっていったい何なのでしょうか?

やせたい気持ちと身体というマーケット

ディスカッションでアイスブレークをした後は、身体についての文化人類学のレクチャー。「なぜやせていることが美しさと結び付けられるのか」、「なぜやせは加速するのか」について、「身体というマーケット」をキーワードに、経済の仕組みと結び付けながらお話をしました。

ここでいう「身体というマーケット」とは、あなたの身体は十分ではない、あなたの身体はもっと素敵になれるし、そしたらあなたの人生はもっと輝く」という市場からの呼び声のことです。

名前は近寄り難いけど、すごく身近な学問が文化人類学!  

 レクチャーの後は、「『身体というマーケット』に取り込まれていると思う瞬間は?」、「身体というマーケットから降りることは可能か?」というお題をテーマにディスカッション。

「(そういう瞬間が)ありすぎて逆に具体的に浮かびません」という皆がうなずく意見から、「健康食品(オーガニックのもの)とかジムに行くことがカッコ良い。それで、スタバのカップを持っていると素晴らしい」といった会場が笑いに包まれる意見まで、さまざまな意見が飛び交い、身体というマーケットに私たちは日常的にとり囲まれていること、それから降りることの難しさが共有されました。

終わりに書いていただいたアンケートでは、「時間があっという間に過ぎてしまいました!」、「普段段恥ずかしくてとても言えないような悩みを皆さんが持っていることがわかり、それを共感だけでなく学問的に知ることができた」、「文化人類学をもっと学んでみたい!」、「次回も参加したい!」という意見など、参加したことに意義を見出してくださった方がほとんどで、嬉しくなった私たちは2回目も企画することになった次第です(笑)


第2回目のテーマは、「数値と身体の関係」について。数値で身体を評価し始めるといったい私たちの日常には何が起こるのでしょうか?文化人類学の観点を交えながら考えてみます。日程・場所はまだ未定なので、決まり次第告知します!



2016年3月7日月曜日

ぽっちゃりの私がスリムになった日

「からだのシューレ 一億総やせたい社会を見つめる文化人類学ワークショップ」開催に当たって


You are slim.

22歳の時にオレゴンに留学し、驚いたことはたくさんあったのですが、そのうちのひとつがこれでした。

親戚や周りの大人から「ぽっちゃりしているね」と言われて育った私は、たぶん中学くらいから、ご多分に漏れずいつもやせたい女子でした。吐いたり、下剤乱用をしたり、ずっと食べなかったりということはなかったけれど、その時の私の気持ちは、拒食や過食で苦しんでいる人に通じる部分があったと思います。

そのときは今みたいに「どうしてやせたいと思うのか?」なんて考えることもせず、 「やせること=いいこと・素敵なこと」という自動思考ができ上がっていました。熱いヤカンに手をぶつけたら、瞬間的に手を引くくらいの、反射といってもよいくらいに。


そして留学―

「やせている」なんて言葉は、「背が高いね」くらいに関係ない言葉だった私に(155cm)、「スリムだね」なんて言葉をかける人が現れたのです。しかも一人じゃなくて複数。

私はその言葉に、太陽が西から上るくらいの驚きを覚えました。
でも同時に、ぽっちゃりの人間が住む場所を変えるだけでスリムになることの気持ち悪さも感じました。

 「いったい私がこれまで育ってきた社会はなんだったんだろう?」
 「やせてるってなんなんだろう?」

当然のことながら私の心にはこんな疑問が湧いてきます。

  


そんなふわっとした疑問に言葉を与えてくれたが文化人類学でした。

人にとって身体とは何なのか?
人にとって外見とはなんなのか?

女性と美しさはなぜこんなにも結びつくのか?

そして、やせるとはなんなのか?

文化人類学が見せてくれた「身体」は、今までの私の専攻であった運動生理学では決して見せることのできない身体のありようでした。

もしもう少し早く文化人類学に出会っていたら、「社会がよしとする形と私の心がこうありたいと願う形がどこか決定的にずれている」という言葉すら思いつかなかった20代のあの頃の私は、もっと自分のことが好きだったんじゃないか。自分が思う「正しさ」を人間すべてにとっての正しさとして、100%の善意で押し付けてくる「社会人」達の言葉ももっとうまくやりすごせたんじゃないか。そう思います。

今月30日に「からだのシューレ~一億総やせたい社会を見つめる文化人類学ワークショップ」というイベントを開催することになりました。文化人類学の視点からやせたい気持ちとやせを礼賛する社会の仕組みを見つめるワークショップです。

ですが、こういうイベントを開催することにためらいがあったことも事実で、またそのためらいは今も消えません。

こうやったら生きるのが楽になるとか、こうやったらもっと幸せとか、こういう風に考えるのが正しいとか、そういうことの答えはひとりひとりにしかないはずで、そんなこと私にはとても言えないと思っています。でも一方でこのワークショップは明らかにそういう要素をはらんでおり、その点でこのワークショップは矛盾しているのです。

そういう矛盾があるにもかかわらず開催に踏み切ったのは、これまで文化人類学を授業を持ち、そして本を発刊する中で、文化人類学の世界の見方に目を開かれたと言ってくれる人が、何気なく過ごしてきた日常が前よりも楽しくなったといってくれる人が、少なくはない人数で存在し、そういう人たちが私の活動を応援してくれたからです。

今回のワークショップ「からだのシューレ」というタイトルは、一緒に主催する林さんが考えてくれました。

シューレ」とはドイツ語で学校、古代ギリシャ語で「精神を自由に使う」という意味があるそうです。特に後者の意味は、文化人類学という学問が目指すところとも合致するので、考えてくださった林さんにもとても感謝しています。

小学生からやせたいと思う社会。
そんな子どもたちに向けてダイエット特集が組まれる社会。
思春期で身体が成長するその時に、自分はもっとやせないといけないと思わせる社会

そして、それをふつうのことと思う社会。

私はなんか変だと思う。

文化人類学というツールを使うことで、参加してくださる皆さんが、自分と自分をとりかこむ社会の間にスキマを作ることができ、そのスキマに、自分の身体を心地よく感じるための風が吹けばと願っています。

興味ある方はお気軽にご参加下さい。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「からだのシューレ 一億総やせたい社会を見つめる文化人類学ワークショップ」

日本では若年女性のやせすぎが10年以上前から問題視される一方、BMI 18.5以下のやせすぎ女性がメディアにはあふれています。「あなたの身体はもっとよくなる」「あなたはもっときれいになれる」というメッセージを浴びせ 続ける現代社会。若い女性たちは自分のそのままの身体を受け入れることが難しい社会の中で生きています。やせることと幸せはどうしてこうも結びつくので しょうか?文化人類学の視点からやせたい気持ちとやせを礼賛する社会の仕組みを見つめます。あなたのやせたい気持ちが少しでもラクになりますように。


○開催日時
2016年3月30日(水)19:00〜20:50 

○会場
東京ウィメンズプラザ(2階・第二会議室A)
東京都渋谷区神宮前5-53-67 
JR・東急東横線・京王井の頭線・東京メトロ副都心線 渋谷駅 宮益坂口から徒歩12分
東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線 表参道駅 B2出口から徒歩7分
都バス(渋88系統) 渋谷駅から2つ目(4分)青山学院前バス停から徒歩2分
http://www1.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/

○司会進行
磯野真穂(文化人類学者/国際医療福祉大学員講師)
【HP】http://www.anthropology.sakura.ne.jp/
『なぜふつうに食べられないのか~拒食と過食の文化人類学~』
春秋社 http://amzn.to/1KYRJqJ

林利香(EAT119 摂食障害の予防と啓発/企画・編集・執筆)
【HP】http://www.eat119.com

○対象
体重や体型にとらわれることがあると感じる方
やせたい気持ちと現代社会との関係について関心がある方

○参加費
1000円
(資料代を含む 当日お支払いただきます・恐れ入りますが、つり銭のないようにご用意ください)

○注意事項
本ワークショップは文化人類学という学問の視点から身体との関係性を探るのが目的です。
痩身や摂食障害の治療を目的とする心理療法やセルフヘルプグループとは異なりますので
あらかじめご注意ください。

○お申込み&お問い合わせ
https://ssl.kokucheese.com/event/entry/379756/





2016年2月3日水曜日

ライザップとか、峯岸さんとか、若い女性のやせすぎとか。


15日に公開されたダイエットジム「ライザップ」の新CM。今回出演しているAKB48の峯岸みなみ(23)のスタイリッシュな姿が反響を呼んでいる。体重は48.6キロから43.7キロに減少したという。(“結果にコミット”した峯岸みなみ 気になるBMI値は?  日刊ゲンダイ 1月16日(土)9時26分配信 )

 

記事にもあるようにプログラム後、峯岸さんの体重は158cm、43.7kgにまで減少。BMI値は17.5となり、これは「やせすぎ」の区分に入る。


日本では若年女性のやせすぎが10年前から問題になっており、最近の統計のよると30代の女性のやせまで増加している。

若年女性のやせ過ぎに関しては、出産時に低体重児が生まれる可能性とか、その赤ちゃんが女の子の場合妊娠糖尿病になる危険性とか、将来介護度が上がるリスクとか、いろいろな懸念が医学界から示されている。去年の6月に一緒に一緒にテレビに出た医師の福島先生は「国家が滅びる」とまで言っていた。

私もこういう視点は大事だと思うし、知っておかなければいけないと思う。

でも若い女性の将来とか、国の将来とかの懸念の中で忘れられがちなのは、若い女性のいまここじゃないだろうか。そこを見ないと何も変わらないのではないだろうか。

「あなたの身体はもっとよくなる」
「あなたはもっときれいになれる」

これはひっくり返すと「あなたのいまの身体は十分じゃない」という意味である。身体が少しふっくらしてくる年頃にそんなメッセージを浴び続けるのである。中年男性がやせようかなと思うのとは次元が違う。

自分のそのままの身体を受け入れることを許さない社会の中で若い女性は生きている。

その部分を変えようとしなければ、将来の健康被害をいくら本人に訴えたところで何の効果もなく、ただただ本人たちを怖がらせるだけだろう。

日本の女の子はやせすぎぐらいじゃないと、かわいくも、きれいにもなれない。好きな服も着られない。
 
少し大げさかもしれないけど、今の日本にはこういう現実があることを私たちは忘れてはいけないと思う。外見より内面がだいじとか、そういう建前を言わないでほしい。

大人ばかりでなく、小学生もやせたいと思う社会。
中学生に向けファッション雑誌にダイエット特集が組まれる社会。
そして48kgの峯岸さんより、43kgの峯岸さんを素敵とほめたたえる社会。

私はそんな社会がとても怖い。




関係記事

女性のやせ過ぎを危惧する医療者の方にお願いしたいこと
コルセット、纏足(てんそく)、そしていま




 

2015年9月10日木曜日

コルセット、纏足、そしていま。

美しければ健康である、というのはとんでもない誤解で、女性の美しさというのは往々にして健康を犠牲にするものである。

時代をさかのぼってみると、欧米で女性の美しさを象徴するものであったコルセット。腰回りをめちゃくちゃ締め付けるシロモノである。ひどい場合には、骨盤が割れるなんてこともあったらしい。

中国の纏足。小さい足の女性がよちよち歩きをする姿が、セックスアピールになったらしい。成長途中の足を大きくならないようにがんじがらめにが布で巻いてしまうのであるから、これはいわずもがなで健康に悪い。

こんなの例外的なものでしょ?、と思うかもしれないが、いまだって女性らしさを形作るいろいろなものは身体に悪い。

例えば、ハイヒール。後部の着地面が異様に小さく、靴底は薄い。外反母趾や、靴擦れ、さらにはふくらはぎの異様な疲れなど、身体によい要素は一つもない。

さらにはメイク。この前友人が、メイクをしたまま寝るのは、「ぞうきんを顔にかけたまま寝るのと同じらしい」と言っていた。その真偽はともかく、顔にいろんな化学物質をぬって、皮膚呼吸を妨げるのであるから、ふつうに考えて身体によいはずがない。

寒い時期のスカート。いくらブーツと厚手のストッキングで足を覆ったところで、ズボンにはかなわない。女性は身体を冷やさないようにっていうにね。

「健康的な女性がいい」って言うけれど、ノーメイク・スニーカー・ズボンの女性と、メイク・ヒール・スカートの女性。どっちがデートに誘われるか、どっちがかわいいと認知されるか考えてみてほしい。

ただ女性の美しさに関する最近の議論で注目したいのは、ほんとうに健康と美しさがセットで語られるようになったということ。

でもそれは、これまでの女性がおしゃれをして健康を崩してきたことによる反省からではなく、20世紀後半の私たちの社会がとんでもない健康オタクになったから。そして資本主義社会と相まって、健康は自助努力で達成できるもの、健康はお金で買えるもの、という考えが定着しているから。

健康はお金でなんか買えない!、と反論した人もいるかもしれないけど、星の数ほどあるサプリメントに、トクホのような健康食品、安全な食品、様々なエクササイズなど、私たちは健康になるためにお金をつかうのを惜しまない。

女性の美しさは常に時代の写し鏡となるけれど、昨今の「美しい=健康」ブームもちゃんと時代を反映しているのである。

ではそのような女性はほんとうに健康なのか?
美しいと社会に認知されること自体が、本人の心身の健康に少なからず影響を与えるはずなので、その身体自体がそもそも健康とは言い難いだろう。事実、若い女性のやせすぎは2000年からの日本の課題で、それ自体も「やせる=美しい」という価値を反映したものなのだから。

2015年6月28日日曜日

女性のやせ過ぎを危惧する医療者の方にお願いしたいこと

6月27日放送のNHK週刊ニュース深読み "やせすぎ女性"過去最高 あなたの健康が危ない!?  に出演させていただきました。観てくださったみなさんありがとうございます。

やせすぎ女性の卵巣機能低下の話が番組の中で何度も強調されていました。

もちろん女性にとって出産は一大イベントでとても大事なものです。ですが、女性には出産の前も、その後も人生があります。出産という点のために生きている訳ではありません。女性の人生は出産という点も含み込んだ線なのです。

その線の中で女性は常にやせたほうがいい、やせたらきれいというメッセージにさらされおり、実際にやせたらいいことがたくさんあることも事実です。

またむやみやたらに生殖機能ばかりを強調することは、この問題を解決しないだけでなく、なんらかの事情で産みたくても産めない人たちすらも不必要に傷つけることになるでしょう。

やせすぎ女性の問題は女性を教育すれば解決する話ではありません。女性の身体をとりかこむ種々のメッセージ、そしてその影響を受けている男女すべての問題なのです。

人間は社会的に利益がある、言い換えると、人からほめられる・認められる、名誉を得られるといったことがあれば進んで健康を犠牲にする生き物です。そこからこの問題を捉えてほしいと切に願います。

2015年5月8日金曜日

『新潮』コラム掲載:魅惑の菓子パン-禁じ/解かれる食の遊びと「摂食障害」

新潮社の文芸誌『新潮』の6月号にコラムが掲載されました。

「摂食障害」の調査を続けるに従い、とても気になる存在になっていった「菓子パン」。

とはいえ、研究としては行き過ぎた解釈だろうと思い心の中だけで温めていたのですが、今回文芸誌に機会を頂け世に出ることになりました。




2015年4月13日月曜日

『なぜふつうに食べられないのか』書評 by 三好春樹さん

☆♪「ブリコラージュ」の連載も話題の、磯野真穂さんの新刊。人間(当然、老人も含む)がぶつかる課題に対して、医学という枠組みが、いかに狭いかが、よ〜くわかる。摂食障がいだけでなく、介護、精神障がいに関わっている人にお勧め。個体還元論から解放される快感を!

Posted by 三好春樹 on 2015年4月4日


三好春樹さんは、介護の領域で先進的な試みを多くなさっている、生活とリハビリ研究所所長さんです。

2015年4月4日土曜日

食べることの未来―石倉敏明×藤原辰史

少し前になるが、文化人類学者の石倉敏明さんと農業思想史が専門の藤原辰史さんの対談が生活工房であった。

登壇者に共通していたのは、「人間の身体をその外側の世界と分離して考えることなんてできないよ」、という点。

石倉さんの人間には「内臓」に加えて、「外臓」があるという話、藤原さんの「イカの踊り食いをした場合、そのイカはいつ自分になるのか」といういっけんすっとんきょうな質問が、食べるという行為の本質を突く。

私はいわゆる「摂食障害」という病気にかかった人たちの調査を10年以上してきた。その人たちは概してとても勉強熱心で、いろいろな専門書を読んでいるけど、たいていそれは医学や心理学、栄養学の観点から書かれたもので、こういう形の視点を聞くことはほぼないといってよい。 

ふつうに食べられなくなった人たちは、人文・社会科学の身体や食べ物のとらえ方を学ぶことで活路が見いだせるのでは、と思う時がしばしばある。なぜならそこにはそれまでにふれたことのない、身体や食べ物のとらえ方があるはずだから。




2015年2月27日金曜日

『なぜふつうに食べられないのか』―信濃毎日新聞に紹介いただきました

「やせすぎていることを、社会が『美』や『健康』として過剰に評価している」ではなく、「適度にやせていることを社会が『美』や『健康』として過剰に評価している」と書いてくださったた記者さんに感謝。

Web記事はこちら

信濃毎日新聞は地元長野県の新聞です。



2015年2月19日木曜日

『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』  出版記念&著者トークイベント (3月3日19:00~@下北沢)

リングァ茶屋 Vol. 15

「食べること」。それは日常生活に欠かすことのできない営みです。でも仕事や人間関係のいざこざ、なんのきなしに始めたダイエット、あるいは病気など、いろいろな理由で「ふつうに食べられなくなった」経験がある人も多いのではないでしょうか。

「食べられなくなった」ことに「摂食障害」という病名がつけられることで、「食べられない人」と「わたし」の間を分け隔てる見えない壁が立ち現われてきます。

磯 野真穂さんは、一般的には拒食症や過食症という病名がつけられる、ふつうに食べられなくなった6人の女性たちの語りに、4年間111時間にわたって耳を傾 けることによって、「分け隔てる壁」が隠したものに光を当てようと試みます。そしてその病名が隠したものの中にこそ、ふつうに食べられなくなった理由があ るのではないかというのが磯野真穂さんの主張の1つです。

今回のリングァ茶屋では『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』の出版を記念し、著者の磯野真穂さんを囲んでお話しをお聞きします。ぜひご参加ください。

日時 2015年3月3日(火)午後7時~9時00分 (6時30分受付開始)
場所 世田谷区男女共同参画センター らぷらす(研修室3・4)
世田谷区北沢2-8-18 北沢タウンホール11階
小田急線・井の頭線「下北沢駅」北口より徒歩5分
小田急バス「北沢タウンホール」下車すぐ
(北沢タウンホール~駒沢陸橋)
参加費 500円(介助者は参加費無料です)