毎回来てくれる方もおり、すでに長寿番組を狙っています。
めざせ徹子の部屋。
看板作りに気合が入っています! |
完成。満足な出来です。 |
さて、2017年初の「からだのシューレ」では、はじめて摂食障害のことを扱いました。
テーマは、日本の摂食障害の理解では、なぜ母親が原因とされるのか。
摂食障害の原因に母親の子育てをみる理論は20世紀の後半に欧米でもありましたが、この理論は徐々に廃れていきます。
しかし一方日本では、未だこの理論が残り続けており、摂食障害の話をすると、「それって母親がいけないんだよね」といった言葉が一般の人からもでることも。
よく考えてみてください。
あることの原因において、母親の子育て「だけ」が関わっている事象などあるでしょうか?
私たちが成長する過程で関わる人は母親だけではありません。父親、祖父母、きょうだい、友達、教員など多様な人たちとの関わり合いの中で私たちは成長します。
その中でなぜ母親だけがことさらにピックアップされるのか、これはよく考えると不思議な現象です。実際、私が調査を行ったシンガポールでは、母親に原因を求める発想が見られませんでした。
この違いはなぜなのでしょうか。今回はこの問題を、私の専門である文化人類学の手法を使って考えました。
まずは拒食・過食の原因の変遷を中世ヨーロッパまで遡っておさらいしました。真実を語る権威が宗教から科学に移るにしたがって、摂食障害の原因論も変わっていきます。というより、そもそも中世の時代は、「病気」とは考えられていませんでした。食べていなくても生きていられる、神様の奇跡とみなされていたのです。
ふつうですと、「それは昔の遅れた考え」という見方になりがちなのですが、そうは考えないのが文化人類学です。
司会の方、やけに肩が上がってますが苦しいのでしょうか? |
話しは20世紀の後半に進み、とうとう日本の摂食障害の原因を考えるには欠かせない「母原病」のお話し。「母原病」は内科医の久徳重森さんが1970年代に発表した理論で、子どもの家庭内暴力、アトピー性皮膚炎、登校拒否、ぜんそく、とありとあらゆる病気の原因は、母親の不適切な子育てにあるという理論です。いま聞けば、びっくりぽんの理論なのですが、ここで考えたいのは、これが間違っているか、正しいかではなく、なぜ当時の日本でこの理論が広く受け入れられ、「母原病」はなぜベストセラーとまでになったのか、です。
やけににこにこしていますが母源病のファンではありません。 |
それを踏まえた上で、母親に原因を求める見方が全く見られない、シンガポールに話は移ります。日本とシンガポールでみられる大きな差。いったいここには何があるのでしょうか?
病気を個人の中ではなく、個人の外に広がる、社会や文化、政治や経済と結び付けてみる見方が重要になります。
淡路島と同じ大きさのシンガポール。拡大しすぎました。 |
“心理学などでは、必ず家族関係を持ち出される。特に母親の責任は重い。どうしてなのかと学者にきいたら「そういうものだ」と言われたことがある。ずっと腑に落ちなかったが今日明確になった。”
*ちなみにこのような回答は、心理学の一般的な見解ではないと言えるでしょう。文化人類学は問題の形を見てみようとする学問です。 問題を解決する手法を提供する学問ではないので、物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、私はそこが文化人類学のよさではないかと思っています。生きるということに答えがない以上、自分が問題とどう向き合うかは、究極的には本人にしか見いだせないはずだからです。
今回は、最後に物語論の話しもしました。少しさわっただけだったのですが、アンケートを見るともう少し突っ込んでほしかったという意見が多いので、別の回でとりあげるかもしれません。
ご来場ありがとうございました♪