2017年6月7日水曜日

『医療者が語る答えなき世界』の恩人


昨日私の2冊目の著書『医療者が語る答えなき世界―「いのちの守り人」』の人類学の書店販売が始まりました。

この本の産みの親は北川さん。介護雑誌『Bricolage(ブリコラージュ)』(←こちらからデジタル版430円で読めます)の編集を担当されている方です。

北川さんは私が初めの本を出すのに本当に苦労している頃から、ずっと応援してくれているほんとうに大事な方。

介護雑誌『ブリコラージュ』編集の北川さん

私が処女作である『なぜふつうに食べられないか』を出すまでの道のりは、なかなか険しい者でした。これは私の博士論文が元になっているのですが、出してくれる出版社がなかなか見つからなかったのです。

「内容が固い」
「当事者でも医者でもない人が書いた本は売れない」
「緊急性がない」
「6人にしか話を聞いていない」

などなど、いろいろなところからいろいろな形で出版を断られ続けました。

いまでこそ『なぜふつうに食べられないか』は3刷まで行き、当事者の方からお手紙をいただけたりなどしてそれなりに意味があったと思えるのですが、それまでの道のりはスムーズではありませんでした。

でも北川さんは私がそんな道を歩いているときから、「磯野さんの書いたものは面白いから絶対に本になるといいと思う」と涼しげな顔で応援し続けてくれ、そして『Bricolage』への連載も勧めてくれたのです。

それなりに順調になり始めたときに認めてくれる人はそれなりにいるけれど、そうでないときに変わらず背中を押してくれる人、自分がどうなっても同じスタンスでいてくれる人はなかなかいません。

今回の本は『Bricolage』への連載がきっかけになっています。
北川さんがいなければ『医療者が語る答えなき世界』はありえませんでした。

自分の立ち位置が以前とは変わったなと思ういまだからこそ、北川さんの様な存在がいかに大切かわかります。

北川さん、本当にありがとう。

ブリコラージュへの連載はまだ続いています。

ところで!

北川さんの髪型、なんとなくですが下の方に似ていると思いません?



実は初作『なぜふつうに食べられないか―拒食と過食の文化人類学』の帯を書いてくださったのは―

波平恵美子先生

気付く人は気づく「サザエさんつながり」だったのです。

もしかしたら私は長谷川町子先生に支えられているのかもしれません。

2017年4月21日金曜日

【からだのシューレ VOl.7:7月1日(土)19:00~】あなたの「胃袋」誰のもの?~食と社会の200年~

からだのシューレ第7回目は、地域史がご専門の湯浅紀子さん(筑波大学准教授)をお招きし、ワークショップを開催します。



湯浅さんは歴史学者なのに「胃袋」に注目しておられます。

「胃」ではないですよ。
「胃袋」です。

湯浅さんの言葉で興味深いのは、「胃」を「胃袋」と言い換えることにより、生理学以外のたくさんの意味を見出すことができるとお考えになっていること。

たとえば湯浅さんは、胃袋を個人の持ち物ではなく、その外側の「誰か」の影響を受ける場所として捉えます。そしてその胃袋には、どんな力や考えが、時代の影響を受けながら働いていたのかを丁寧な資料調査と、インタビュー調査をもとに解明していくのです。

江戸時代から現在に至るまで、私たちの胃袋は誰の影響を受けてきたのでしょう? その「誰か」はどんなことを考えながら、私たちの胃袋と関わろうとしてきたのでしょうか? 

当日は、ふだんなかなかお目にかかることはできない貴重な資料とともに、ワークショップを行ってくださる予定です。

そして、そして、「胃袋」の話しと同様に、注目してほしいのが、湯浅さんの資料への
「愛」。たぶん愛しい生き物を見つめるかのように、楽しそうに嬉しそうに資料について語られるはずです。

(私は湯浅さんと、一度だけシンポジウムでご一緒させていただいたことがあります。その際に湯浅さんは、昭和初期の一善飯屋の写真をスライドに提示されたのですが、その時の目のきらきらがいまだに忘れられません。)

ということで、当日は、学者のマニアックな部分(?)も楽しみながら、湯澤さんと一緒に昔の日本にタイムスリップしてください。


場所はいつもの東京青山ウィメンズプラザ。参加費は1000円です。
たくさんのご参加お待ちしてます!




2017年4月10日月曜日

からだのシューレ Vol.6 「なぜお母さんが原因に?~摂食障害の歴史学」開催報告

2016年3月から始まった「からだのシューレ」は今回でなんと6回目!
毎回来てくれる方もおり、すでに長寿番組を狙っています。

めざせ徹子の部屋。

看板作りに気合が入っています!
完成。満足な出来です。

さて、2017年初の「からだのシューレ」では、はじめて摂食障害のことを扱いました。
テーマは、日本の摂食障害の理解では、なぜ母親が原因とされるのか。



摂食障害の原因に母親の子育てをみる理論は20世紀の後半に欧米でもありましたが、この理論は徐々に廃れていきます。

しかし一方日本では、未だこの理論が残り続けており、摂食障害の話をすると、「それって母親がいけないんだよね」といった言葉が一般の人からもでることも。

よく考えてみてください。
あることの原因において、母親の子育て「だけ」が関わっている事象などあるでしょうか?

私たちが成長する過程で関わる人は母親だけではありません。父親、祖父母、きょうだい、友達、教員など多様な人たちとの関わり合いの中で私たちは成長します。

その中でなぜ母親だけがことさらにピックアップされるのか、これはよく考えると不思議な現象です。実際、私が調査を行ったシンガポールでは、母親に原因を求める発想が見られませんでした。

この違いはなぜなのでしょうか。今回はこの問題を、私の専門である文化人類学の手法を使って考えました。



まずは拒食・過食の原因の変遷を中世ヨーロッパまで遡っておさらいしました。真実を語る権威が宗教から科学に移るにしたがって、摂食障害の原因論も変わっていきます。というより、そもそも中世の時代は、「病気」とは考えられていませんでした。食べていなくても生きていられる、神様の奇跡とみなされていたのです。

ふつうですと、「それは昔の遅れた考え」という見方になりがちなのですが、そうは考えないのが文化人類学です。

司会の方、やけに肩が上がってますが苦しいのでしょうか?


話しは20世紀の後半に進み、とうとう日本の摂食障害の原因を考えるには欠かせない「母原病」のお話し。「母原病」は内科医の久徳重森さんが1970年代に発表した理論で、子どもの家庭内暴力、アトピー性皮膚炎、登校拒否、ぜんそく、とありとあらゆる病気の原因は、母親の不適切な子育てにあるという理論です。いま聞けば、びっくりぽんの理論なのですが、ここで考えたいのは、これが間違っているか、正しいかではなく、なぜ当時の日本でこの理論が広く受け入れられ、「母原病」はなぜベストセラーとまでになったのか、です。

やけににこにこしていますが母源病のファンではありません。


それを踏まえた上で、母親に原因を求める見方が全く見られない、シンガポールに話は移ります。日本とシンガポールでみられる大きな差。いったいここには何があるのでしょうか?

病気を個人の中ではなく、個人の外に広がる、社会や文化、政治や経済と結び付けてみる見方が重要になります。
淡路島と同じ大きさのシンガポール。拡大しすぎました。
参加者の方からはこのような感想を頂きました。

“心理学などでは、必ず家族関係を持ち出される。特に母親の責任は重い。どうしてなのかと学者にきいたら「そういうものだ」と言われたことがある。ずっと腑に落ちなかったが今日明確になった。”
*ちなみにこのような回答は、心理学の一般的な見解ではないと言えるでしょう。
文化人類学は問題の形を見てみようとする学問です。 問題を解決する手法を提供する学問ではないので、物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、私はそこが文化人類学のよさではないかと思っています。生きるということに答えがない以上、自分が問題とどう向き合うかは、究極的には本人にしか見いだせないはずだからです。

今回は、最後に物語論の話しもしました。少しさわっただけだったのですが、アンケートを見るともう少し突っ込んでほしかったという意見が多いので、別の回でとりあげるかもしれません。

ご来場ありがとうございました♪

2017年4月4日火曜日

のびのび生きよう


細かいことは気にせず広々とに、健やかに生きていけば良いということをミサコボクシングジムのランカーボクサー岩井大さんに教えていただきました。

2017年4月1日土曜日

アーサー・クラインマン 『8つの人生の物語ー不確かで危険に満ちた時代を道徳的に生きるということ』

クラインマンの最新作

アーサー・クラインマンを読むときに注意したいのは、彼が頻繁に用いる"moral "という意味をきちんと理解できるかどうか。
道徳と訳されていることが多いのですが、日本語の一般的な道徳の意味で受け取ると読み間違えます。
この本はmoralの意味をきちんと解説してあるという点でおすすめ。

おしゃれな街の歩き方



なんせ田舎者なのでこの年になって代官山を初来訪。

あまりにおしゃれすぎて緊張し、駅から200mの範囲しか歩けず。