2017年3月30日木曜日

時局発言!ー上野千鶴子



上野千鶴子さんの新刊。朝日新聞などに書評として書いていたものをまとめた一冊で、テーマごとに上野さんが選んだ本が紹介されています。

ところで、私がはじめて読んだ上野千鶴子さんの本は、早稲田大学の博士課程でとった授業の教科書として採用された『ナショナリズムとジェンダー』という本でした。


この分野については恥ずかしながら無知であるため、どこまで理解できたかはわからないのですが、精密な調査の上に紡がれる、物事の本質をズバッと突き刺すような言葉の選び方と、心地よい文章のリズムに感動したことをよく覚えています。

ついでに「フェミニズムが感情的になって騒いでいる女性達」っていうありがちなイメージが全然的外れなこともよくわかった本でした。そういうイメージを持っている人のがよっぽど感情的なことが実感としてわかった本でもあります。

最近は移民についての発言などでいろいろ言われたりもしているみたいだけど、それはさておき、この新刊でもその文章の切れ味は健在。おかげで紹介されている本を端から読みたくなっちゃいます。

かっこいい文章は、かっこいい文章を読むことから。
文章力を磨きたい人にももちろんお勧めの一冊です。

2017年3月11日土曜日

Salzburg Global Seminar 553: What do you want to have in the land called PeoplePower?

Salzburg Global Seminar just started yesterday. The title is "Toward a Share Culture of Health-Enriching and Charting the Patient-Clinician Relationship."  Although participants come from various countries, such as Austria (of course), the UK, Sweden, Brasil, Swiss, and the USA, this is a little homogenized atmosphere from my perspective since most are Caucasian people and educated or have their jobs in North-America and European countries.  In that atmosphere, I remembered how it is like to be a minority and use the second language in a foreign country. This was the sense that I kept having while I was in the United States more than 15 years ago.  Putting myself in such a situation is significant since I am a privileged majority in Japan who naturally forget and ignore the perspectives of the minority.



a cute cat at the reception

But this does not mean that I feel alienated from the session. Rather, I feel included because of the environment that directors and coordinators attempt to establish. For example, I am very much surprised with the fact that Tom Delbanco, a co-chair of the session, and John Lotherington, a director, kept reminding participants not to speak fast since there are people whose first language are not English.  I am deeply appreciated such unexpected comments stated by Tom and John since I experienced the situations many times where people unconsciously thought that you were nothing if you don't speak English fluently.

Schloss Leopoldskron


What do you want in a land called PeoplePower? 

Welcoming speech of Clare Shine

Our very first discussion was what you, a patient, want in a land called People Power- which is an imagined utopian land where patients can access to all of their medical information freely without any fears of divulging personal information (with a bid support of Prime Minister!), use big data related to their diseases, and even e-mail their doctors without any hesitations if they have any questions.

So, what do you want in this land?

Many insights are shared in the group discussion, and these are the things came to my mind.

TRUST:  Electronic devices which enable people to access their information, and policies that protect their information from divulging are essential, but trust in everything such as politics, doctors, pharmaceutical companies, evidence, and devices must come first and foremost.

LANGUAGE: In order for patients to access medical information freely and become a valuable member of the medical team, they should have rights to say anything uncertain openly to their doctors. I was wondering how this could be achieved in Japanese settings where language per se creates a hierarchical relationship. For example, patients call doctors "sensei" with their surname. "Sensei" means a teacher and immediately implies that they are superior and in power. Patients hold themselves back and are fear of offending "sensei" for the sake of protecting their own lives. In what way can I be in a land called PeoplePower while speaking Japanese and maintaining the Japanese cultural values?

Health Care System: Japanese can access to any types of hospitals and clinic without any barriers, and because of the national health insurance we only pay 30% of the total cost (people who are above 75 years old only pay 10% of the cost). I heard that people in other countries often do not have free access to medical institutions because of the policies  Although this Japanese system is in economic crisis, this system would help greatly those who are in People Power.

Related to my research:
I am currently conducting a field work in cardiovascular diseases with a particular focus on atrial fibrillation (AF), which is a type of irregular pulse of the heart.  If you have AF, your risk of having brain infarction increases. Anticoagulation therapy is widely used to decrease the risk since AF is a disease that is difficult to be cured completely. Thus, the treatment focuses on reducing the body's ability to form clots in the blood. However, if you take anticoagulation, the risk of bleeding including intracranial hemorrhages, the most serious complication, is increased.

However, in 2011, a new antithrombotic drug, called DOACs (there are 4 types of DOACs), started prescribed in Japan. With the evidence of the huge clinical experiment called the RE-LY trial, pharmaceutical companies advertised dabigatran, a first DOAC landed in Japan, like a magical drug which drastically decreases the risk of intracranial hemorrhages but does not increase the risk of brain infarction. Many doctors are now replacing warfarin-a drug widely used before DOACs-with DOACs. However, not all of them just welcomed these new drugs and some institutions doubt the benefits of DOAC for various reasons.

First of all, DOAC was represented as decreasing the risk of intracranial hemorrhages by 2/3 compared to warfarin. This result looks tremendous. However, if you look at the actual data, the risk of intracranial hemorrhages decreases from 0.76% to 0.23% per year.

 Do you think this is a drastic reduction?

Moreover, what we need to look at is the cost. DOAC is 10 times as expensive as warfarin. We need to think about whether we really want to pay this amount of money to reduce 0.53% risk.

 Furthermore, issues surrounding DOAC are getting more complicated since  Medwatcher Japan, an NGO that was launched in 1997 to monitor and prevent drug-induced disasters, warned that some of the results of RE-LY trial are actually in doubt, and more than 500 legal actions related to dabigatran have already taken in the United States. Medwatcher Japan also pointed out that pharmaceutical companies paid about 1 billion yen to those who created a new guideline of AF that recommends for clinicians to use DOAC widely.

Based on that situation, how much information must be given to patients with AF living in a land called PeoplePopwer? Should they only have the summary of clinical evidence or should they actually look at the real data of the trial? Should they know that some are critical of the uses of DOAC for diverse reasons?




2017年1月21日土曜日

【からだのシューレVol.6:3月29日19:00~】「なぜ母親が原因に?―摂食障害の歴史学」




摂食障害の原因は、母親の不適切な子育てにある。

日本ではいまだに広く信じられているこのお話し、世界的みるとそれほど一般的な見方ではありません。 

母親に原因を求めるモデルは、アメリカのドイツ系精神科医 ヒルデ・ブルックによって1960年代に作られました。しかしこのモデルは欧米では徐々に廃れていきます。また私が調査を行ったシンガポールでもあっさりと否定されていました。

しかし日本では、このモデルはいまだ残り続けています。 いったいなぜなのでしょう? 

今年初・第6回目となるからだのシューレは、摂食障害の原因をめぐる歴史にスポットをあててみます。 

(「からだのシューレ」は摂食障害のことを扱うワークショップと誤解されがちなのですが、からだのシューレで摂食障害を扱うのはこれがはじめてなのです!) 

なぜ摂食障害の原因が母親に求められるようになったのか。
なぜ原因を母親に求める見方が、根強く残っているのか。 

医学や心理学の視点ではなく、歴史、社会・文化、政治・経済にスポットを当て、めぐるめく摂食障害の原因論について考えてみます。

今回は、身体や食の問題に関心のある女性限定で開催します。お気軽にご参加ください! 
お申し込みはこちらからお願いします。


2016年12月19日月曜日

あなたのカラダは誰のもの?―プラスサイズモデルNaoさん講演会


すでに5回目を迎えた「からだのシューレ」。今年最後の企画は、プラスサイズモデルNaoさんの講演会!Naoさんについては、私がたまたまネットで記事を見かけたことがきっかけです。「講演会なんてしたことないです(汗)」といいつつ、「私の経験が誰かの役に立てれば」ということで、この企画が実現しました。


ラファーファのNaoさん。かっこいい!!


ふだんから雑誌やテレビなどメディアに出ていらっしゃるので、人前で話すなんて余裕だろうと思っていたら、講演の1時間前のNaoさんのツイッターのフィードに「緊張してきた…」の文字が。思いの外緊張していらしたようで、実際にお会いしたら本当に緊張していました(笑)



講演会には40人弱のみなさんがいらしてくださり、講演会がスタート。

Naoさんは、17歳から25,6歳まで拒食・過食を繰り返し、体重の変動は20キロ近くだったこともあったといいます。講演会の前半戦は、Naoさんがこの状態をどう抜け出していったかに焦点が置かれました。

面白かったのが、Naoさんがその道のりをドラゴンボールに例えていたこと。7つ集めたら願いがかなうというドラゴンボール。Naoさんにとってのドラゴンボールは「やせる」ということで、そしたら何かもっといい人生が待っているんじゃないか。そんな風に考えていたのではないかとNaoさんはご自身を振り返ります。

でもそんなドラゴンボールは実は存在していなかった。

「このままの体型でいいんじゃないか」、そう思えるきっかけを少しずつ集めたことがいまの自分につながっているとNaoさんは話されます。

Naoさんが悩んでいるときに、離島のおばあちゃんを訪ね、おばあちゃんから「あんたは何にも悪くない」と言われて涙を流すところは、こちらも思わず泣きそうでした。

またモデルになってから気づかれたことについてもお話しくださりました。太っている人、ぽっちゃりしている人に対して私たちが抱きがちなイメージが、いかにメディアによって作られていること、太っている人はなぜ笑いの対象になるのかなど、私たちが普段何気なく通り過ぎてしまうことに疑問を投げかけてくださり、まさに「モデル界の文化人類学者」(←命名、いその)としてのお話しが次々と続きました。




そして講演会後半は、Naoさんへの質問コーナーに突入。

「自分に素直になるってどういうことですか?」、「Naoさんにとって幸せって何?」といったかなり哲学的な質問から、「健診などで、このまま行くと不健康になりますよ。やせなさい!と言われたらどうしますか?」といったかなり具体的なものまで多くの質問が寄せられました。

それぞれの質問に対する、Naoさんの受け答えを聞いていて印象的だったのが、人から言われたことと、自分との間にワンクッション置くことを大事にしているということ、物事を1つの側面に光が当てられたら、違うところからも見られるんじゃないかと考えることを大事にされているということでした。

Naoさんの言葉の中に、「変わったのではなくて、気付いた」という言葉があり、これは自分自身を変えようとしたのではなく、いままでとは違う形で世界が見られることに気付いたことで、結果として変わったという意味だったのですが、まさにこれが「からだのシューレ」の目的です。

このことを私たちは「社会と身体の間にスキマを作る」という言い方で表現しいたのですが、「変わるんじゃなくて、気付く」というよりインパクトがあり、かつエッセンスを突いている、Naoさんの言葉も使わせていただきたいところです。(Naoさんいいでしょうか?)

講演会は盛会の後に終わり、多くの感想を頂きました。一部紹介しますね。
Naoさんの周りに流されない芯の強さにふれられてとてもうれしかったです。 
社会と自分の間にスキマは作れるんだ、と気づけた時間でした。気持ちが楽になりました。今後、就活・就職などで失敗した時、極端に落ち込むことがなくなりそうです。本当にありがとうございました。 
 今私は過食症を患っており、ふつうに食べることができれば良くて、過食しては気分は落ち込み生き辛いなと感じることが多々あります。そんな中でも、今回の「からだのシューレ」で新しい考え方、社会に対する見方を学びました。当たり前を疑う大切さを感じました。 
Naoさんが体験されたことや、そこから見出された考えや気付き、それを力強い言葉で語られていることがとても素晴らしく、とても素敵な方だと思いました。もっともっといろんな場面で発信していかれることを期待します!

今年最後の「からだのシューレ」は、Naoさんの素晴らしいお話のおかげで大成功の裡に終えることができました。Naoさん、ご来場くださったみなさま本当にありがとうございます。

そして、そして、「からだのシューレ」は来年も開催されます!文化人類学を中心に企画を考えてゆきますので、ぜひお気軽に足を運んでくださいね。

みなさま、よいお年を!


来年も鳥が飛びますよ



2016年11月16日水曜日

東田直樹 『飛び跳ねる思考』


人の目に映る自分の姿を想像しただけで、
この世から消えてしまいたい気分になります。
僕が抱えている心の聞は、どんな魔法をかけても消えません。
人は誰でも、心に傷を抱えながら生きているのではないでしょうか。
その傷が、すぐに癒える人もいれば、
いつまでも消えることなく残る人もいます。
そして、僕のように暗閣の中で悲鳴を上げ続ける人もいるのです。 
・・・ 
苦しくてたまらなくなると、空を見上げます。
目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空と白い雲です。
見ている僕はひとりぼっちなのに、
世界中の人とつながっている気分になります。
自然はどんな時も、人々に平等です。
そのことが僕の心を慰めてくれるのです。
お日様は頭上を照らし続け、風は四六時中、僕の隣を通り抜けます。
木々の緑は美しく、空気は澄んでいます。
こんな自然の中でなら、ありのままでいられるのです。
つらい気持ちは、どうしようもありませんが、
ひとりではないと思える瞬間が、僕を支えてくれます。


東田直樹 『飛び跳ねる思考』


大ベストセラー『僕が飛び跳ねる理由』を書いた重度の自閉症者、東田直樹さんの著書から。彼の文章は心にまっすぐやさしく届いてきます。たぶんそれは彼がまっすぐやさしく文章を書いているからなのでしょう。

そんな文章を書くことは、自分の心をそのまま出すことなので、簡単そうでなかなかできないことなんだと私は思います。

会話のできない自閉症の僕が考えていること

2016年11月13日日曜日

小久保さん、守里君ありがとう


今週火曜日は国語教師ボクサー小久保さんの3年8ヶ月ぶりの勝利。

本日日曜日は、東日本新人王決勝戦での守里君の敗戦。

リング中央で勝ち名乗りを受けながら涙を流す小久保さん。

観客席にガッツポーズをする対戦相手の側で、コーナーポストに両手を付け、うつむき涙を流す守里君。

どちらの涙も私の中で忘れられない涙になった。

溢れる涙はこの瞬間に全てをかけた証。

勝利の涙は過去の自分に。
敗北の涙は未来の自分に。

そんなことを教えてもらった2人の試合でした。素晴らしい試合をありがとうございます。

2016年10月25日火曜日

私たちはいつ、人の目線で自分を見るようになるんだろう


ただ、そこにいる、という、それだけのことの難しさをきりこはよく分かっていた。人間たちが知っているのは、おのおのの心にある鏡だ。その鏡は、しばしば「他人の目」や「批判」や「自己満足」、という言葉に置き換えられた(129)

今回の「からだのシューレ」はいつもよりサイズを半分に縮小し、1部と2部に分けての読書会。とりあげたのは西加奈子さんの「きりこについて」です。




参加者は10代から50代までの女性と男性。

生きた年月もやっていることも大きく違うみなさんでしたが、皆さんどこかのタイミングで、他者から自分がどう見えているのかを気にするようになり、時にそれにとらわれてしまう経験をお持ちであることが印象的でした。

うちも自分のこと、ものすごくかわいいって思っていたやんか!(192-193)

学校でぶすだとののしられ、いじめに遭いとうとう登校拒否になるきり子が、こう気づくシーンがあります。

ここについて大学生の参加者からこんな発言がありました。

「小さいころの自分を思い出すと、私もそうだったんじゃないかと思います。親が無条件に愛してくれる。かわいいってどういうものかもわからないし、世間のかわいいもわからない。いまは雑誌に載っているモデルとかに影響されているけど、そういうのをいつから気にしだしんだろうか。どうして無条件に満足できていた自分では足りなくて、他からも求めてしまうのはいつごろだったのだろう?」

幼いころは、他人がどう見ているかなんて全然わからず、自分がどうしたいかしかわからないですよね。ところが私たちは次第に周りが自分をどう見ているのか、世間の尺度にあっているのか、年相応のことができているのか、デブじゃないか、ブスじゃないか、お金があるか、そんなことを気にしだしてがんじがらめになり、気付いたら自分が何をしたいのかわからなくなる―

こういうことを経験した方は多いのではないでしょうか?

私が4年にわたりインタビューをさせてもらった拒食・過食を経験した方たちも、他人の目というのにがっちがちに縛られていた局面があったような気がします。

でもこれはうまく食べられなくなった人たちに限らず、私たちみなが陥ることですし、世間にはふつうとか、常識とか、そういう言葉で他人の目に縛り付けようとするメッセージにあふれていることも事実です。

今回取り上げた「きりこについて」は、自分らしくすることの大事さを一方で強調しながらも、あるべき形からはみ出る人々を排除する社会との中で、どう生きたらいいのかを考えさせてくれる小説でした。

そして次回の「からだのシューレ」は、プラスサイズモデルNaoさんの講演会。今回に引き続き「自分らしさ」ってなんだろう、「外見ってなんだろう」ということを考えさせてくれる内容になること間違いなしです。

「やせなきゃ」と思うあなたの気持ちはどこからやってくるのでしょう?

参加制限はございませんのでどなたもお気軽にご参加下さい!