なぜ人々は暴れたのか?
日比谷焼打ち事件から、米騒動そして関東大震災での朝鮮人虐殺までを、地続きの暴動とみなし、なぜこれら暴動は起こったのか、その根源的な要素をそれに参加した名も無き民衆の中に探索する作品。
藤野裕子/有志舎 |
これまで単に「民衆」と記された人々を、「男性」というしるしを帯びた人々として見返す視座は、「文化」としてニュートラルに描かれてきたものは「人間一般の文化」ではなく、「男性の文化」であったという、20世紀後半の文化人類学の気づきとも重なる。
一連の暴動の鍵として扱われる、承認欲求や上昇志向は、この本で注目される、暴動の担い手であった下層男性労働者に限らず、すべての人間が持っているものであろう。自らの承認欲求や上昇志向が知らず知らずのうちに加害に結びつくことへの警告を発しているようにも感じられた。
それにしてもいま生きている人たちを主な研究の対象とする文化人類学と違い、すでにこの世を去った名もなき人々に関する細かな資料を探し出し、それを当時 の社会的、政治的文脈と結びつけながら、彼らの思いと感情に入り込むという気の遠くなるような試みに、筆者はどれだけの時間と知性と感情を注ぎ込んだのだ ろうと思う。引用される様々な資料をみるだけでも楽しめる一冊だった。