あひるの親子がかわいい |
「子どもは守ってあげなければいけない」
「子どもだから教えてあげなければいけない」
-大人が子どもに対して抱きがちなそんな思い込みが、むしろ子どもが災害を乗り越えて生きていくことを阻害しているのではないか。―
そのようなメッセージがはっきりと書かれているわけではない。書かれているのは、阪神・淡路や東日本大震災などで、子どもを巻き込みながら行われた実践の数々と、そこに参加した人々の声である。
でも、読後にはそのような思いが脳裏をよぎる。
そしてこの本の 主軸は「子ども」にあるが、考えさせれらるのは子どものことばかりではない。
たとえば、「こころ」って何?そういう議論がないままに被災地では「こころのケア」がどんどんと導入された。(東日本大震災における子どもに向けた支援で最も多かったのが「こころのケア」であった。)しかし被災体験を子どもに表出させることが子どもの「こころのケア」に必ずしもつながるのか?むしろ災害後、子どもたちが自然にやり出した「津波ごっこ」や「地震ごっこ」といった、子どもどおしの遊びの中でも、子どもは被災体験を乗り越えてゆくと筆者は指摘する。
震災後、女性にあてがわれる役割は、炊事や介護など、嫁・妻・母を想起させるものが多かった。しかし女性はすなわち嫁・妻・母なのだろうか?支援・復興の主体が「成人・男性・健常者」によって担われることで、「成人・男性・健常者」の視点から支援の枠組みが作られてしまう。支援の主体になった人間の思い込みが、支援からこぼれる人、あるいは本来ある力を発揮できない人を作り出してしまう。
支援とは「保護される人」を作り出す活動ではない。多様な人が自由に意見を表明できる環境を作ること、すなわち「保護される人」を増やすのではなく、「支援の主体になる人」を増やしていく活動なのである。
そう筆者は主張しているように私には思えた。
最後に、私は幸いにもこの本の執筆過程にしばしば立ち会うことができたのだが、その時に筆者がつぶやいた言葉で印象に残っているものがある。
「こころのケア」に資金を導入するより、その資金を子どもが安心して遊べる場所にバスを走らせることに使った方が有効なんじゃないでしょうか?
筆者は医師や心理士による「こころのケア」を否定しているわけではない。ただ、子どもは子ども同士のかかわりの中で、そして環境と主体的にかかわり合う中で自ら成長していくことを誰よりも知っているんだろうと思う。