脳死があるから臓器移植がある。
臓器移植は命の贈り物である。
おそらく多くの人はそう考えるだろう。
しかしこの順序は全く逆であると著者は喝破する。臓器移植を行うために、「脳死」という新しい定義が必要になったのだと。臓器移植を制度として成立させるために、臓器移植を贈り物として定義する必要があったのだと。
純粋な善行としてとらえられがちな臓器移植の陰にある、提供者の家族の葛藤と苦悶は、この制度の拡大が実は死の領域の拡大とひそかに結びついていることを示す。しかしそのようなドナー家族の声は提供者が徹底的に匿名化される中でかき消されてしまい、私たちの日常に届くことはない。
それまでは「生きていた」人が、法案の改正によって突如「死んだ」ことになってしまう。そんな瞬間を生きた「脳死者」の家族の気持ちを考えたことが私たちはあっただろうか?
日本文化の特異性という文化論の中で見えなくさせられていた、この国における臓器移植の動向の詳細が、制度・経済といったマクロな側面と、提供を受けた人・提供をした家族というミクロな側面の両面から照らし出される。
明確な答えが書かれているわけではない。しかし私たちが「当たり前」と思っている世界を揺るがし、現実世界の複雑さを示すことが文化人類学の1つの仕事であるとするならば、この著は間違いなく、読み継がれるべき文化人類学の一作といえるであろう。