2015年6月18日木曜日

ロボットの人類学―20世紀日本の機械と人間 by 久保明教

昨年から今年は実は文化人類学の出版ブーム。若手の人類学者が次々に本を出版している。その中の一冊の本著は、文化人類学の最先端の理論を用いてロボットを語る。

そこで語られるのは、鉄腕アトムから社会現象ともなったエヴァンゲリオンまでのロボットアニメ、さらには2014年に修理窓口が閉鎖し、愛犬の死を悲しむ飼い主がいることが報じられたアイボまでさまざま。ロボット好きであれば、人類学者の独特なロボットへのまなざしそのものが面白いのではないだろうか。

それはさておき、本書の主旨をざっくりまとめると、人間とロボットの違い、あるいは欧米のロボットと日本のロボットの違いといった、2つの対立項の比較ではなく、いっけん対立しているようにみえる2つの項がいかに交じり合い、お互いに影響し合い、そしてその結果それぞれがいかに変容しているのかをロボットを通じてとらえる試みとなるのではないかと思う。

グローバル化が進む現在、私たちは嫌がおうなしに、自分たちと他者との違いを意識せざるを得ない時代にあり、それはしばしばヘイトクレームといった、他者を徹底的に貶めることにより、自分たちの絶対的な優越性を誇示しようというような行動に結びつくこともある。

しかし本著の視点を用いれば、このような対立を自明のものととらえ、正しいのはどちらかといった視点から語るのは問題の表層しか見ていないということになるだろう。なぜなら実際は、その両者は密接に結び付きあい、交じり合い、影響し合い、お互いがお互いを変容させ続けているからである。

筆者はおわりにこう述べている。 

あなたが熱狂的に応援するワールドカップ日本代表のスポーツエリートとしての思考や身体のあり方よりも、理解できない言葉で叫ぶ異国のサポーターの思考や身体の方があなた自身のそれに近いかもしれない(p239)

もっとも異質なものは異国にあるのではなく隣にあり、もっとも同質性の高いものは隣にはなく遠く離れた異国にあるかもしれない。このまなざしは、IT技術によって複雑に結び付けられた世界に生きる私たちの生のありようを端的に示しているとは言えないだろうか。


本著はロボットの話しだが、ここで展開される視点は世界のさまざまな現象を捉える際に零れ落ちてしまいがちな、しかし現象の本質にある動態を把握するためにきわめて有効であると思われる。