はじめての試み、「からだのシューレ・一億総やせたい社会を見つめるワークショップ」が先日(3/30)に終了しました。
「5名く来てくだされば御の字!」と思っていたのですが、予想に反して10代から60代まで15名の方が集まってくださり、ディスカッションも大いに盛り上がりました。
初回のテーマは「やせたい気持ちとマーケットの関係を考える」。まずはじまりは「やせたい気持ちがいつ、そしてなぜ始まったか」についてのディスカッションから。
そこで出た意見が「やせる」ことの本質をついているものだったので紹介します。
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皆さんの意見はホワイトボードに貼り出し |
「あなたはなぜやせたい/やせたかったのですか? 」
- やせると美しい見た目に…あと着たい服が着られる。モテそう
- 男子にブタって言われて嫌だったから
- やせた自分でなければいけないと思っていたから
- 周りからの悪い評価が怖いから
- 他人から「キレイ」と言われたかった
- やせればやせるほど速く走れると思っていたから→その後、それだけでなく ユニフォームがお腹の出る露出度の高いものであり、それも影響したというお話あり。
- お腹のぽっこりが気になるから=服の着こなしに影響?(人からの指摘)
- やせるように言われたから
- 思春期太りをしていじめられてしまったことが忘れられないので…。太っていると良くない気がする
- やせると「やせたね!」(ちやほや)太ると「太ったね!」(呆れ・見下し) やせてる方が洋服を着こなせた(と思っている)
- 美しくなりたかった
- 自分の肉がきもち悪い。醜く不快に感じる
はじめて「やせたい」と思った時期は、小学校中学年~高校生の間。もっとも多かったのは小学校高学年から中学生でした。そして意見をみるとわかるように、「やせる」ことが明確に他人からの評価と結びついていることがわかります。
やせることは「自信」とか、「健康」とか、「なりたい自分」とか、自分自身と結び付けて語られることが表向きは多いです。ですが その裏側では「他人からよくみられたい」、「他人よりも素敵な身体になりたい」という比較や競争の視点が入っていて、そのような価値観を小学校~中学校という多感な時期に、しらずしらずのうちに身につけているということがわかります。
参加者の方の中には小学1年の娘さんがいらっしゃる方もおり、その方のお話しによると、1年生の頃からやせることがうらやましい、 やせたい!と思っている女の子が結構いるとか。生まれて10年にも満たないころから自分の身体がよくないと思う気持ちっていったい何なのでしょうか?
やせたい気持ちと身体というマーケット
ディスカッションでアイスブレークをした後は、身体についての文化人類学のレクチャー。「なぜやせていることが美しさと結び付けられるのか」、「なぜやせは加速するのか」について、「身体というマーケット」をキーワードに、経済の仕組みと結び付けながらお話をしました。
ここでいう「身体というマーケット」とは、あなたの身体は十分ではない、あなたの身体はもっと素敵になれるし、そしたらあなたの人生はもっと輝く」という市場からの呼び声のことです。
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名前は近寄り難いけど、すごく身近な学問が文化人類学! | | |
レクチャーの後は、「『身体というマーケット』に取り込まれていると思う瞬間は?」、「身体というマーケットから降りることは可能か?」というお題をテーマにディスカッション。
「(そういう瞬間が)ありすぎて逆に具体的に浮かびません」という皆がうなずく意見から、「健康食品(オーガニックのもの)とかジムに行くことがカッコ良い。それで、スタバのカップを持っていると素晴らしい」といった会場が笑いに包まれる意見まで、さまざまな意見が飛び交い、身体というマーケットに私たちは日常的にとり囲まれていること、それから降りることの難しさが共有されました。
終わりに書いていただいたアンケートでは、「時間があっという間に過ぎてしまいました!」、「普段段恥ずかしくてとても言えないような悩みを皆さんが持っていることがわかり、それを共感だけでなく学問的に知ることができた」、「文化人類学をもっと学んでみたい!」、「次回も参加したい!」という意見など、参加したことに意義を見出してくださった方がほとんどで、嬉しくなった私たちは2回目も企画することになった次第です(笑)
第2回目のテーマは、「数値と身体の関係」について。数値で身体を評価し始めるといったい私たちの日常には何が起こるのでしょうか?文化人類学の観点を交えながら考えてみます。日程・場所はまだ未定なので、決まり次第告知します!