2015年5月26日火曜日

同性愛・結婚・子ども

昨日のTBS「私の何がイケないの?」SPは2時間の同性婚特集。

レズビアン結婚式を挙げたことで話題になった東小雪さん、増原裕子さんカップルと、一ノ瀬文さん、杉森茜さんカップルが出演。

見ていて胸が痛んだのは結婚式を公にしたい一ノ瀬さん、杉森さんにひっそりやればいいと反対する両親の言葉、子どもを持ちたいと考える東さん、増原さんに生まれてくる子どもがかわいそう、いじめられたらどうするの?と聞くゲストや視聴者の言葉かけ。

そういいたくなる気持ちもわからなくはないけれど、それって彼女たちを偏見の目で見るかもしれない人々のことを暗に肯定している。いじめられる子どもじゃなくて、いじめる子どもを肯定してる。

ダウン症の子どもを持った両親に「どうして事前に検査をしなかったんだ」って言っちゃう人たちの言葉に構造がよく似てる。


黙っていた方がいい。
子どもがかわいそう。


「世間の目」の側でもっともらしいことをいう人は多いけれど、時代をよい方に変えていくのは常に「世間の目」に毅然と立ち向かった人たちであることを忘れずにいたい。

LGBTはこれまでの「生の当たり前」を揺るがす問題を提起する存在であるがゆえにこれからもいろんな議論が起こるだろうけど、とりあえず「世間の目」レベルの議論からは何も生まれないことは火をみるより明らかだと思う。

最近どこかしこで言われる多様性を私たちが自分たちの社会でほんとうに実現するためには、「世間」というふわっとした強制力が何によって作られているかを見極める確かな目と、どうしたらそれを変えていけるかを見据える豊かな創造力が必要なのかな思う。

2015年5月21日木曜日

力を奪う者たち


「最近の若者は自分で考えられない」
「最近の若者は打たれ弱い」

…など、「最近の○○論」はいつの時代も存在する。

とりあえず○○じゃない自分たちを気分良くして、問題の所在を自分じゃないところに置くにはすごく都合のいい論理。

でも最近、介護施設で働く院生さんから面白い話を聞いた。

介護施設の入居者さんは自分から立ち上がらなくなる場合があるのだという。

それはなぜか?

転倒してけがをするとその転倒は施設で働く人たちの責任になるから。

その院生さんは、「入居者さんの生きる力を奪っているのは私たちではないか」と自ら問いを立てていた。

私みたいに「教える」立場にある者は、常に同じ問いを自分の中に掲げていないといけないと思う。
学ぶ力、考える力、工夫する力を奪っているのは、教える側の自分ではないかって。

2015年5月10日日曜日

「もし」と「繰り返し」がすべて

プログラミング講座はとうとうPHPとデータベースの連携に入った。
簡単に言うと、ユーザーがブラウザに入力したことを、記録していく、と考えていけばいい。

今回は繰り返しを行えるwhile文の練習だったんだけど、その課題についての講師からのコメントが―


「実は全てのプログラムはif文とwhile文で書くことができるんです。」


と書いてあってびっくり。if文とは「もしーだったら、~こうしてね。」という命令を作るやり方。



確かに、『「もしーだったら、~こうしてね。」というのをAという条件下において繰り返してください』とするだけで、かなりのことができそうです。


私はまだできないけど…。

2015年5月9日土曜日

平均以上効果(Better-Than-Average Effect)


突然ですが、あなたは平均よりも公平にふるまっていると思いますか?

この質問をされるとほぼ100%の人がイエスと答えるそう。

でももし本当にそうだとしたら現実に合わない。

世の中には不公平なことがあふれてる。みんなが平均よりも公平にふるまっているのなら世の中もっといいはずにきまってる。いじめも差別も起こりえない。

人が、平均よりも自分は優れていると思う傾向を脳科学では「平均以上効果」(Better-Than-Average Effect)というそうです。

これって集団に向けてもいえそうで、最近あちらこちらで耳にする「自分たちは隣の民族よりも優れている」

―もこれに当たるのかもしれません。


(参照:『自分では気づかない―ココロの盲点』 池谷裕二 【朝日出版社】)

2015年5月8日金曜日

『新潮』コラム掲載:魅惑の菓子パン-禁じ/解かれる食の遊びと「摂食障害」

新潮社の文芸誌『新潮』の6月号にコラムが掲載されました。

「摂食障害」の調査を続けるに従い、とても気になる存在になっていった「菓子パン」。

とはいえ、研究としては行き過ぎた解釈だろうと思い心の中だけで温めていたのですが、今回文芸誌に機会を頂け世に出ることになりました。