2017年6月16日金曜日

『医療者が語る答えなき世界』の中身




プロローグ――医療という奇妙な現場

第Ⅰ部 肩越しの視点


第1章 気付き――ナタデココとスカートのゴムについて

二六歳新人看護師VS七三歳がん患者/一〇〇歳の涙とスタッフのいらだち/新米ケアワーカーの違和感/ぶら下がる栄養ボトルたち/消える違和感/忙しさの本当の理由/おばあちゃんは、外の空気を吸わせてほしい

第2章 高齢者と身体拘束―看護師の心もきしむ

抑制いろいろ/縛ることを悩む看護師/これはご飯が通る道/医師が胃ろうを作る時/命の選択/制度の改革と抑制のひろがり/命のアウトソースの果てに


第1部は導入編。エピソード中心の構成になっています。百歳のおばあちゃんがケースワーカー前田に頼んでお願いごとは何だったのか?お話を聞いていて涙が出そうになったストーリーが入っています。




第Ⅱ部 科学が明らかにできないもの


第3章 手術と呪術――きれいな人と汚れた人
手術室看護師の疑問/倒れる時は後ろのめりで/タブーだらけの手術室/タブーに根拠はあるか?/細菌の発見と手術の発展/「細菌」だけでは説明できない/誰もが呪術に頼っている/呪術と努力の切れない関係/手術室にひそむ人間の本性

第4章 新薬――それを前に臨床医が考えること
長嶋監督の衝撃/心房細動の症状と治療/血液をサラサラにする治療/新薬に高まる医師の期待/想定外の出血が起こる/ゆれるエビデンス、ゆれるガイドライン/循環器専門医の懸念/「ふつうの薬」になっていいのか?/〇・五三%リスク減の意味

第5章 効く薬とは何か?――漢方と科学の切れない関係
エビデンスという牙城/正統の座を追われた漢方/国家と科学/漢方外来の患者さん/手詰まりのない漢方/実践感覚がリアルを作る

第2部は私がこの5年間行っている漢方外来と循環器外来のフィールドワークの成果が紹介されています。できるだけやわらかくしたつもりなのですが、4章と5章は明らかに他と違うらしいです…





第Ⅲ部 傍らにいるということ


第6章 いのちの守り人――医療者の仕事の本質
腫瘍内科医の役割/「治す」はかりが医療なのか?/寝たきり病院の理学療法士/「また、生きていく」過程に寄り添う/それは理学療法ではない/「治らない」現場の看護師/鳴り止まないナースコール/それは看護ではなく、介護/患者への愛しさ/降圧剤は飲みたくない/漢方医と患者の柔らかやりとり/「治す」の手前にあるもの/医学を医療にする人たち

第7章 死守――頑固爺はパンを焼く
頑固爺現れる/ソーシャルワーカーだけの確信/「あなたのため」の「あなた」はどこに?/関係を変えるための第一歩/在宅復帰に向けて/いつもこうしてきたんです/人は何と共に生きるのか/在宅の「実績」/命の炎が消える時

第8章 共鳴――旅する言語聴覚士
失語症とは?/コトバの世界は残ってる/病気の後って長いよね/「行間の世界」、ではなかった/リハビリなんてやりたくない/役に立っているという幻想/できないことばっかりだ/スロープは人/血と汗と涙の行間/人生の海図を描く

医療者の仕事は治すだけではありません。医療現場にいるのは医師と看護師だけではありません。第3部では、治らない現場の医療者がいったいどんな仕事をしているのか。そして患者さんと共に医療者はどう生きているのかを描きました。


エピローグ――患者中心の医療を目指して


2017年6月14日水曜日

オトナも使える「見たこと作文」

子どもの文章力がいつのまにか上達する本があると聞いたので読んでみた。

その名も、『親子で作る見たこと作文』(LCA国際学園 学園長 山口紀生 著)


正直手に取るのに多少の違和感があったのは否めない。小中高と一貫して田舎の公立出身の私は、関東の私立と聞くだけで、なんだか私とは違う世界に住んでいる人たちのような感じがしてしまうからだ。

でも読んでみたら、全然違った。



この本の目的は、子どもの文章力を上げるための親の手伝い方なんだけど、これは先生と生徒、上司と部下などなど「教える」ことが生じるありとあらゆる場面で使えると思う。

「見たこと作文」はそんなに難しいものではなく、文字通り見たことを文字にしていく。

「楽しかった」と書くのではなく、その時に何を見て、それがどんなだったのかを書く。


たとえば―

ゴールデンウィーク中にしおひがりに行きました。いっぱい貝がとれました。楽しかったです。

これを「見たこと作文」を使うと―


私はゴールデンウィーク中にしおひがりに行きました。行くときに周りにたくさん木が見えました。着いたところには草がいっぱい生えていました。…砂をくまでほると、消しゴムくらいの小さな貝がでてきました。いっぱい貝がとれました。

見たことをきちんと書くだけでもう全然違う。

私たちは成長の過程で言葉を覚え、たくさんのことをひとまとめにしてしまう癖をつけてしまう。「楽しかった」の中には、たくさんの出来事、見たこと、感じたことがあったはずなのに「楽しかった」という箱の中に全部を押し込めておんなじ色に塗ってしまう。

さらにやっかいなことに自分の言葉が、ほめられるような、評価されるような、時には無難に物事が進むような言葉を選ぶ。

楽しくもなかったのに、楽しかったと言ってみたり。

なぜか?

それは周りの大人がそういう方向に誘導するから。
こういう場合はこういう言葉を選びなさいと教えるから。

その結果、教えられる側は、自分が見たことではく、「正解」になる言葉を選ぶようになってしまう。ほんとうは見えていたものを見ていないといってしまう。そのうちにほんとうに見えなくなる。

(最近あるものをないと言っているエライ人たちがいるみたいだけど、その人たちはもはやほんとうに見えなくなっているのかもしれない。)

ひるがえって「見たこと作文」には正解がない。だって子ども一人一人が見たこと、感じたことをそのまま言葉にするだけだから。見たことや感じたとこに正解も、不正解もあるはずがない。

 私が素敵だなと思ったのは次の見たこと作文に対する山口さんのコメント

はじめて魚にさわってみた。ぬるぬるしていた。魚の目もさわってみた。ナイフの先で魚の目をおすと白目になった。はなすとまたもとの黒と黄色の目に戻った。しっぽはざらざらとしていた。ちょっとかたかった。

 これは魚を釣って、食べたときの「見たこと作文」。

これに対して山口さんはこう言う。

ナイフの先で魚の目を押すなんて大人の目から残酷に見えるかもしれない。 でもそれは大人の考え。その考えを押し付けて「そんなこと書くのは良くない。ちょっとかわいそうだったと書いたら?」、などといった瞬間に、子どもは自分の目で「見る」ことを、「感じる」ことを止めてしまう。大人の目から見た正しい世界の理解の仕方じゃなくて、子どもが見たこと、感じたことを大人もそのまま一緒に共有する。これが見たこと作文の流儀。(←これそのままの引用じゃなくて私の理解も入ってます)


上の立場にいる者が世界の見方、表現の仕方を強制する。これって親子に限らず、そこらじゅうで起こっていると思う。

何か問題が起こったとき、なぜ間違ったことをしたのではなく、「あなたはそこで何を見たのか、感じていたのか」と問えるかどうか。まず相手が見ていた世界を捉える努力をしているかどうか?

本著は、子どもの文章力を上げるための本なので「見たことパレット」といったツールや、形容詞の導入の仕方といったテクニックも盛り込まれているが、何よりも素敵なのはその底辺にある考え方だと思う。

そしてこの底辺にある考え方って、文化人類学者がやるフィールドワークと全く同じなんだよね。授業でも使えるんじゃないだろうか、とまで思ったくらい。

子どもの文章力を上げるといった目的だけでなく、風通しのよい人間関係を作り上げるための考え方として手にとっても十分に使える本だと思う。

おススメです。

2017年6月7日水曜日

『医療者が語る答えなき世界』の恩人


昨日私の2冊目の著書『医療者が語る答えなき世界―「いのちの守り人」』の人類学の書店販売が始まりました。

この本の産みの親は北川さん。介護雑誌『Bricolage(ブリコラージュ)』(←こちらからデジタル版430円で読めます)の編集を担当されている方です。

北川さんは私が初めの本を出すのに本当に苦労している頃から、ずっと応援してくれているほんとうに大事な方。

介護雑誌『ブリコラージュ』編集の北川さん

私が処女作である『なぜふつうに食べられないか』を出すまでの道のりは、なかなか険しい者でした。これは私の博士論文が元になっているのですが、出してくれる出版社がなかなか見つからなかったのです。

「内容が固い」
「当事者でも医者でもない人が書いた本は売れない」
「緊急性がない」
「6人にしか話を聞いていない」

などなど、いろいろなところからいろいろな形で出版を断られ続けました。

いまでこそ『なぜふつうに食べられないか』は3刷まで行き、当事者の方からお手紙をいただけたりなどしてそれなりに意味があったと思えるのですが、それまでの道のりはスムーズではありませんでした。

でも北川さんは私がそんな道を歩いているときから、「磯野さんの書いたものは面白いから絶対に本になるといいと思う」と涼しげな顔で応援し続けてくれ、そして『Bricolage』への連載も勧めてくれたのです。

それなりに順調になり始めたときに認めてくれる人はそれなりにいるけれど、そうでないときに変わらず背中を押してくれる人、自分がどうなっても同じスタンスでいてくれる人はなかなかいません。

今回の本は『Bricolage』への連載がきっかけになっています。
北川さんがいなければ『医療者が語る答えなき世界』はありえませんでした。

自分の立ち位置が以前とは変わったなと思ういまだからこそ、北川さんの様な存在がいかに大切かわかります。

北川さん、本当にありがとう。

ブリコラージュへの連載はまだ続いています。

ところで!

北川さんの髪型、なんとなくですが下の方に似ていると思いません?



実は初作『なぜふつうに食べられないか―拒食と過食の文化人類学』の帯を書いてくださったのは―

波平恵美子先生

気付く人は気づく「サザエさんつながり」だったのです。

もしかしたら私は長谷川町子先生に支えられているのかもしれません。