2016年2月25日木曜日

【ジンルイカフェ】 拳闘家×音楽家―人類学が切る、プロの身体

来週水曜日は、ジンルイカフェの日。
ゲストはピアニストの佐藤美和さんとボクシングトレーナーの加藤健太さん。

お二人とも実践と指導者の両方の経験があるプロのお二人です。プロフェッショナルは自分の身体をどのように動かし、どのように教え、そしてどのように観ているのか。
身体をテーマに思う存分語っていただきます。

対談は、<実践>、<指導>、<観る>の3部門で構成。

まったく違う領域で活躍されるお二人の対談からどんな化学反応が引き起こされるのでしょうか?
お二人にはあえてマニアックなことを語ってほしいとお願いしてあります。

タイムテーブルはこちら。(流れに応じて調整しますので、この通りに進まなくともご了承ください!)

19:00-19:15 人類学から見る身体の不思議
19:15-19:25 ゲスト紹介
19:25-19:45 パート1 <実践>
19:45-20:00 パート2 <教える>
<休憩>
20:10-20:30 パート3 <観る>
20:30-20:50 フロアディスカッション
20:50-21:00 プロが教える音楽と格闘技の楽しみ方/終わりの言葉



「身体」をキーワードに研究を続ける3人の文化人類学者のたわいない会話から実現した企画です。どうぞご期待ください!





なお会場である、テンプル大学ジャパンキャンパス麻布校舎への最寄駅からの地図は下記をご覧ください。(「日本生命麻布ビル」の1階から6階がテンプル大学麻布校舎です。お間違えないように。)



2016年2月23日火曜日

仏さまのおさがり

シンポジウムの合間をぬってどうしても行きたかった三十三間堂へ。タイ、中国、韓国などいろいろな国の観光客が参拝中。もちろん日本人も。

みんな入り口では楽しそうにおしゃべりをしているのに、出口に近づけば近づくほど、話し声が減っていく。あのお寺には国を超えて人を黙らせてしまう荘厳な力があるみたい。

 グレープフルーツは、本尊に供えられていたもの。「仏さまのおさがり」っていうんだって。ご自由にどうぞと書いてあったので、ひとつ頂いてきた。ただならぬ存在感です。



2016年2月17日水曜日

太田胃散を飲むときに


今日、山手線に夕方乗っていたら、ピンクのジャンパーを羽織った大柄な男性が私の隣に座った。

座るなり彼はバックをがさがさやりはじめ、おもむろに筒状の缶を取り出す。中には緑がかった粉末状が入っており、蓋にはプラスチックのスプーンがついている。

「え?なんなの?なんなの?」と思った私が、その缶をガン見。


するとそこには「太田胃散」の文字が(写真)。



「太田胃酸って缶入りがあったの!?」
「っていうか、なぜ車内で胃薬?しかもスプーン!」

もう私の頭の中は???状態である。

彼はそんな私の驚きを知る由もなく、器用にスプーン1杯分の太田胃散を口に含み飲み込んだ。

「水いらないの?水?むせちゃうよ!」

私の驚きは心配に代わる。

すると彼は、再びバックに手を入れ、おもむろにペットボトルを取り出す。

「だよね、水はいるよね~。」と思いきや、 私はまだ甘かった

なんとラベルに書かれていたのは、カルピスソーダ。

カルピスならぎりぎりわかる。でも炭酸が入っている!

そもそも胃が悪いならカルピスソーダーは飲まない方がいいんじゃないの?
まさかの飲みあわせである。


自分の常識の狭さとともに、世界の広さを学んだひとときでした。

2016年2月7日日曜日

教えるは引き算

教えるは引き算。

はじめての教壇に早稲田で立ってから5年。教える場も変わり、これまでいろいろ試行錯誤を重ねてきたけれど、これだけは、変わらず残りそうな真実なだと思う。



「引き算」というのは、一番大事なことを伝えるために、いらないものをそぎ落としていくこと。

「足し算」というのは、一番大事なことにたくさんのことを接ぎ木していくこと。テーブル一杯のごちそうみたいな感じ。

「足し算」の方がお腹いっぱいになる。だけど、学生に残るのは、お腹いっぱいになったという事実だけ。何を食べたかはぼやっとしていてよく覚えていない。

「引き算」はお腹いっぱいにはならないけれど、何を食べたかの記憶ははっきりと残る。文化人類学という学問の余韻が残り続ける。

あれも大事、これも大事と、なんでもかんでも言葉にしてしまうことの怖さは、お互いの満足感だけ高くなってしまうことだと思う。教える側は、たくさん教えたという満足感。教えてもらった側は、たくさん教えてもらったという満足感。

でも学問はそんな満足感のためにあるわけじゃない。何を伝えられたか、何が心に消えないものとして残ったかが一番大事。

教員なり立てのころの私を振り返ると、とにかく詰め込む授業をしてしまっていたと思う。たぶん学生も、先生が熱くて、勢いがあって、なんかたくさん学んだという印象しかないんじゃないか。

足し算ではなく、引き算で行う授業を意識し始めてからの方が、私のキャラとか、勉強「量」とかの余計な印象ではなく、学生のそれぞれに文化人類学という学問の余韻を残せているのではないかと思う。

一方、教員としての経験を積む中で怖いなと思うのは、無駄にトーク力がついてしまったこと。準備不足でいまひとつ伝えるべきことが定まっていなくても、なんかそれなりにつくろえてしまう。そういう時の私は、絶対に「足し算」。相手が知らなそうなことを、あれもこれもと話すことで、立派なことを聞いたような気分にさせてしまう。キャリアを積むことの弊害だと思う。そういう授業をしてしまった日は一日気分が悪い。

 加えて、大学教員という肩書の怖いところは、その肩書だけで、相手を納得させる力があるということ。たいしたことを言っていなくても、「○○大学の教授」が話すだけで、それは立派なお言葉に変身してしまうことが多々ある。

私はまだ講師なので、そこまでのご威光はないけれど、もし私のポジションが准教授とか、教授とか、上がっていくことがあるのならば、「入れ物の威光」と「自分そのもの」をいっしょくたにしてエラくなった気になることだけは、絶対にしてはいけないと思う。

そうなったら、私の教え方は間違いなく引き算から、足し算になってしまうはずだろう。

足し算で教え始めたら、それは怠慢とおごり。

どれだけ経験を積んだとしても、私の肩書がどう変わったとしても、絶対に忘れないでいたい。

2016年2月3日水曜日

ライザップとか、峯岸さんとか、若い女性のやせすぎとか。


15日に公開されたダイエットジム「ライザップ」の新CM。今回出演しているAKB48の峯岸みなみ(23)のスタイリッシュな姿が反響を呼んでいる。体重は48.6キロから43.7キロに減少したという。(“結果にコミット”した峯岸みなみ 気になるBMI値は?  日刊ゲンダイ 1月16日(土)9時26分配信 )

 

記事にもあるようにプログラム後、峯岸さんの体重は158cm、43.7kgにまで減少。BMI値は17.5となり、これは「やせすぎ」の区分に入る。


日本では若年女性のやせすぎが10年前から問題になっており、最近の統計のよると30代の女性のやせまで増加している。

若年女性のやせ過ぎに関しては、出産時に低体重児が生まれる可能性とか、その赤ちゃんが女の子の場合妊娠糖尿病になる危険性とか、将来介護度が上がるリスクとか、いろいろな懸念が医学界から示されている。去年の6月に一緒に一緒にテレビに出た医師の福島先生は「国家が滅びる」とまで言っていた。

私もこういう視点は大事だと思うし、知っておかなければいけないと思う。

でも若い女性の将来とか、国の将来とかの懸念の中で忘れられがちなのは、若い女性のいまここじゃないだろうか。そこを見ないと何も変わらないのではないだろうか。

「あなたの身体はもっとよくなる」
「あなたはもっときれいになれる」

これはひっくり返すと「あなたのいまの身体は十分じゃない」という意味である。身体が少しふっくらしてくる年頃にそんなメッセージを浴び続けるのである。中年男性がやせようかなと思うのとは次元が違う。

自分のそのままの身体を受け入れることを許さない社会の中で若い女性は生きている。

その部分を変えようとしなければ、将来の健康被害をいくら本人に訴えたところで何の効果もなく、ただただ本人たちを怖がらせるだけだろう。

日本の女の子はやせすぎぐらいじゃないと、かわいくも、きれいにもなれない。好きな服も着られない。
 
少し大げさかもしれないけど、今の日本にはこういう現実があることを私たちは忘れてはいけないと思う。外見より内面がだいじとか、そういう建前を言わないでほしい。

大人ばかりでなく、小学生もやせたいと思う社会。
中学生に向けファッション雑誌にダイエット特集が組まれる社会。
そして48kgの峯岸さんより、43kgの峯岸さんを素敵とほめたたえる社会。

私はそんな社会がとても怖い。




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