うんこ漢字ドリルが爆発的な売り上げを上げている日本。
ですが、いまの私たちにとってうんちはうんちでしかなく、不要なものとして処理をする対象でしかありません。
ですがこの変化はこの1世紀くらいの間に起こった考え方の変化。日本人にとってうんちは長きにわたって、生活を支える大事な肥料だったのです。
「なぜ日本人はうんちを肥料とは思わなくなってしまったのか?」
第1部の山上さんからの問いを引き継いで湯澤さんのレクチャーが始まりました。
まず便所と糞の語源の説明から。
湯澤さん、うんちTシャツでノリノリのトークです。 |
便所には「くつろぐ場所」、糞には「ともに畑を耕す」という意味があるそうです。
便所は何とか想像がつきますが、「糞」は相手をけなすために使われたりしるので、そこに「ともに何かをする」という意味が込められているとはなかなか想像がつきません
慶長3年、江戸時代の資料 |
大正時代の記録 |
上の2枚の写真は、江戸時代と大証時代の資料から。大正時代に入っても、ナスや大根、沢庵とうんちが交換されていたのは驚きです!
また記録を紐解くと、お祝いの日の後の糞尿、身分の高い人の糞尿はより高い価値がつけられていたのだとか。確かにお祝いの後はいいものを食べていそうですし、身分の高い人のうんちの方が栄養価がありそうです。
殿様のうんちには多くの人が殺到したりしていたのでしょうか…。
そしてさらにさらに驚きなのが、うんちの利用は昭和に入っても行われていたということ。下の2枚の写真を見てください。
うんちをいかに科学的に有効利用するか。昭和初期の資料です。 |
昭和20年代もまだうんちは肥料として使われていた! |
人口の増加により、うんちを肥料として使うべきか、廃棄するべきかという議論はすでに起こっていたということですが、肥料としての価値は認められ続けていたんですね。
その背景には、GHQによる指導あるいは苦情(?)(人のうんちで育てた野菜なんて汚くて食べられない!)、添加物が食べ物に入ることによる糞尿の安全性への懸念、人口増加による糞尿の増加など複数の要因があるそうです。
いずれにしても私たちの「うんち観」はこの1世紀にも満たない間に作られた一時的な「当たり前」であることがわかります。
山上さん達の活動により、うんちはうんちでしかなかったケニアの人々の「うんち観」が変わったように、私たち日本人のうんち観ももしかすると近いうちに変わるかもしれません。
この後、山上さんはそのまま空港へ。湯澤さんはうんちTシャツのまま懇親会に出席されました(笑) |
さて2か月に1辺のペースで9回にわたり開催してきた「からだのシューレ」。来月3月17日の第10回目を持って、しばらく充電期間に入ります。
最終回のテーマは「糖質制限」。いまやダイエットの常識となった糖質制限を通じ、食べることの当たり前を考えてみましょう。
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