2017年12月31日日曜日

人を救うもの




今年、私を救ってくれた言葉があって、それはー

「真穂は最近すごく忙しかったんだから疲れて当然だよ」

だった。

なぜこんなありがちな言葉に救われたかというと、その言葉が、朝起きてから寝るまでの私のどうでもいい動きや、ささいな言葉を見たり、聞いたりしている人から出たものだったからだと思う。

確かに、夏休みあたりから年末までを振り返ってみると、身体が疲れること、頭が疲れること、そして心がへとへとになることがいろいろあって、それを踏まえると、もしかすると私はいろんな意味で「忙しかった」のかもしれない。

でも私は元来、忙しくなるのは自分の能力が不足しているからで、したがってそれをダダ漏れにするのはもっと「ダサい」と思っている人なので、私の頭の中に「忙しい」という言葉が上がって来ることはほとんどない。

だから私の細かな日々を知っている人からその言葉が出たのは私にとってはちょっとびっくりで、「そうか私は忙しかったのだ」、いや「忙しいと思ってよかったのだ」と思えたことで、私はものすごく救われた。言われたその時は、なんだかとにかく疲れてたし、気分は落ち込むし、「楽しい気持ちになれないのはなぜなのだ?」と思っていたから。

で、何を言いたいのかというと、人を救うのって、「自分の具体的な人生の軌跡を知っている人の何気ない言葉なんだよね」、ってこと。

啓発本とかで元気が出ることもあると思うけど、そういうのってレッドブル的なテンションの上がり方で、それは人を救っているというよりは、残っているエネルギーをさらに燃えさせているのかもしれない。

自分の具体的な歩みを、さわったり、感じたりできる、具体的な空間の中で見てくれている人、共に生きてくれている人が自分の周りにいること。
そういうことが幸せを作っていくのかもしれません。

今年私と言葉を交わしてくださった皆さま、私と関わってくださりありがとうございました。

みなさま、良いお年をお過ごしください。