2017年9月13日水曜日
その臨床に意味はあった―ソーシャルワークと文化人類学
「自分たちの臨床に言葉を与えてもらった」
医療人類学を20世紀後半に日本に広めた波平先生が、医師に医療人類学のことを話すときにもっとも言われる言葉がこれだと言っていた。(←若干うろ覚えだけど)
実際、私も国際医療福祉大学の大学院で臨床経験の長い医療者の方に医療人類学を伝え始めてからこういわれることがある。
物質的に心身に変化を起こすことは、数値や画像で表すことができるため、成果として見せやすい。でも人間はすべて数値や画像で表すことができるわけではなく、実はそここそが機械ではできない人間ならではの部分だったりする。
でも残念ながらその作業に言葉は与えられておらず、それゆえに自分のやっていることに意味があるのかないのか、自信を無くしてしまう人もいる。
9月10日(日)の日本医療社会福祉学会大会では、ソーシャルワーカーの山本みどりさんとのコラボレーション。山本さんが提供する事例を文化人類学の視点から分析。それをフロアにいるソーシャルワーカーの皆さんにふり、その視点から考えてもらうという企画をした。
制度の中で均質化されがちな患者さんを、均質化されえない人間として生活の中に位置づけ続ける作業、時には制度や組織に抗することがソーシャルワーク。
皆さんのお話を聞きながらそんなことを感じた。そして、そんな皆さんの仕事をまとめ上げるこうなるんじゃないですか? 、と言えるのが文化人類学、なのかなと感じた。
名前を与えることには、よい部分と、よくない部分があるけれど、経験の中に沈み込んでいる知恵を形ある何かとして抜き出す作業はとても大事で、その際に文化人類学の言葉が役に立つ。
たかがコトバ。
されどコトバ。